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1・17 SONG OF THE EARTH

1月17日早朝、13年前に大地が大きく揺れた時刻5時46分にあわせて石屋川
公園に向かった。ここは2年前にもTURTLE TALKで書いた震災ボランティア団体の
神戸元気村があったところ。June君たちは昨夜のキャンドルナイトの後、伊丹の昆
陽池公園に向かい、そこでも行われるメモリアル式典の手伝いに参加し、徹夜でここ
に駆けつけてくれた。
3年前の震災10年の時はここにテントが張られ、元気村の元スタッフたちも集まっ
て周りに住む人たちも出てきてロウソクに火を灯したが、翌年からはここではこの日
何も行われていないようだ。
今年も誰もいない真っ暗な公園だったが、石屋川をはさんで対岸の御影公会堂のシル
エットや川を吹き下ろす冷たい六甲おろしに、当時ここに居た頃のことがまざまざと
思い出された。
公園の隣にあったボウリング場はサインの巨大なピンが今にも落ちそうになりながら
傾いたままで、周辺のたくさんの倒壊した家々には真新しい花や線香が供えてあった。
公園にはいくつものティピが立ち並び、全国からやってきたボランティアたちの宿泊
所になっていて、時折出張のお風呂屋さんや散髪屋さん、自転車のパンク修理屋さん
などもやってきた。ミュージシャンたちは毎日歌を歌い、天然酵母のパン屋の友達が
毎朝パンを配り、巨大な鍋では毎日何千人分の炊き出しを提供した。
もう今はボウリング場も無く、周りの家もきれいになり、公園は元の姿に戻ってひっ
そりとしているが、場の記憶とでも言うのかな、この日この場所に立っているとそん
な大勢のボランティアたちの喧噪や炊き出しの匂い、焚き火の匂いが甦ってくるよう
だった。
この日は夜に降っていた雨が時折雪に変わり、吹き下ろす風がすごく冷たい朝となった。
風を避けるため、少し段差のある下の場所をJune君が選び、セージを焚いてキャンド
ルを並べ一つ一つに火をつける。時折強く吹き付ける風がせっかく灯った火を吹き消
すので、みんなで小さく輪になって一人一人がキャンドルを手で囲み、灯った火を守
った。

この場所はまさしく元気村の本部テントが建っていたところ。そして元気村が公園隣
りの建物に移動してまだ活動していた2000年当時に、東京から広島、長崎目指し
PEACE WALKで訪れた時に、その運んできた広島原爆の残り火を置いて皆で大きな
輪を作ったところだった、ということも思い出した。
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そんな事を思いながら、火を囲んで肩を寄せ合っていると、隣にいた青年YAS君が当
時の事を聴いてきた。いろいろ話していると、彼は今回新潟からやってきた、と言う。
聞くと、3年前に起きた中越地震で家が全壊したんだと。幸い彼の家族はだいじょう
ぶだったと言うが、以後地元川口町で毎年追悼イベントに関わっている。そこで毎年
キャンドルを灯しているJune君と出会い、一緒に追悼イベントを企画しながら、これ
からは一歩進めて、地域の人や若い人がたくさん集える未来へのフェスティバルにし
ようと、いまはその実行委員会の代表となって頑張っているんだと。
その名も” SONG OF THE EARTH ” !
まさしく地震は、大地、地球からの声、メッセージであり、歌なんだ、って、この言
葉を聞いてそう感じた。
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そうする内に、June君と一緒に東京から来た、ネパール人シンガーのbobinがギター
を持って歌いだした。
彼も祈りの深い人で、いつもJune君からもらった大きなキャンドルをデイパックに背
負って、行く先々ツアーの度にステージに置いて歌い灯す旅を続けている。
今年のキャンドルを灯す歌い始めを、ぜひ神戸から、と、そのために来てくれた。
手が凍るような寒い風が吹くなかで、ゆっくりと30分あまり、祈りの歌を歌ってく
れた。
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最後に、彼の名曲SLOW BURNINGを時折みんなで声を合わせ、今年もその時を過ご
す事ができた。
June君ファミリーありがとう! YAS君ありがとう! bobinありがとう!
あの公園にいたのはボクたちだけだったけど、灯した火の周りにはやさしい気配がい
っぱいだった。
13年ぶりに歌が還ってきた石屋川公園1・17。
SONG OF THE EARTH !

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震災メモリアル・キャンドルナイト

1月16日夕方、神戸港に面した観光客に人気の高いモザイクというピアにある
Humming Birdというレストランであったイベントに行ってきた。
ここは同じくモザイクにあるSunny Blessというインディアンジュエリーのお店が出
したサンタ・フェ・スタイルのレストランで、このSunny BlessのオリジナルTシャツ
を去年2柄ばかり作らせてもらったご縁で、おつきあいのあるところ。
この日は翌17日の阪神淡路大震災の日に因んだ、祈りのコンサートをしようと、シ
ンガーのHALKOさんが呼びかけて開かれたもので、昨年に続いて東京から駆けつけて
くれたCandle June君のキャンドルを店内に灯す震災メモリアルの前夜祭的なキャンド
ルナイトとなった。
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HALKOさんとはここ数年のいろんな動きでごいっしょさせてもらっているが、2004
年の夏至に開いたWorld Peace & Prayer Dayの事務局をした時に、HALKOさんは呼びか
け人として日本全国を回ってくれて以来、特に親しくさせていただいている。
そうそう丁度1年ほど前には、日本で初めてホクレアを迎える集いがこのスグ近くであ
り、これはホピの予言上映会を続ける辰巳玲子さんが主催し、内田正洋さんと北山耕平
さんをゲストスピーカーに、HALKOさん、天空オーケストラの岡野くん、内田ボブさん
のライブで盛り上がった。
実は1978年、いまから30年前、当時高校生だったボクは、HALKOさんがまだ桑名
晴子だった?時に出したデビューアルバム”Million Stars”を買って今も持ってる。
もちろんLP盤!。
それから月日は流れ、いまこうやって目の前でHALKOさんの歌を聴いてるのもつくづく
不思議な感じだけれど、このサンタ・フェ風な空間にいると初めてインディアンのクニ
を訪ねた時に行ったサンタ・フェやタオスのことを思い出してしまう。それも今年で20
年となる1988年だった。
この年はまた、いのちの祭りが初めて開かれ、インディアン達が大地といのちのために
走る、祈りのランニング
があった。
いのちの祭りではNO NUKES, ONE LOVE ! のメッセージが掲げられ、ホピの予言の
メッセンジャーであった今は亡きトーマス・バニヤッカ氏もランの途中にやってきた。
この時アメリカ大陸を東海岸から西海岸まで走ってきたインディアン達は、海を越え
広島から各地の原発を巡り、六カ所村を訪ね、最終アイヌの住む北海道、核廃棄物最
終処分場の候補地だった幌延まで走り抜けた。
この年の多くのそんな出会いが、その後の自分の人生を決定づけた、と思っている。
そして’90年、初めて行ったビッグマウンテンで本当に人生が変わり、’92年渡米し
て’94年の暮れまで最初の本当のアメリカ人のクニグニを回った。
そして久しぶりに帰ってきた関西で、その20日後に起きたのが’95年1月17日の
あの大地震だった。
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なぜか、そんな思い出がゆらゆらとJUNE君キャンドルが灯るインディアンな空間で
HALKOさんの歌を聴きながら、まさしく走馬灯のように浮かんでは消えていった。
明日は13年目の震災の日。時間は少しづつ巡り、そして一巡りして、また次に巡っ
ていくんだな・・・。
なんて、そんなことをフッと想った夜でした・・・。(明日に続く)
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(右)神戸のスーパーベーシスト天野SHOさんと(左)和歌山の”月の祭り”で    
おなじみのBAGUSカヨちゃんと。さすが〜!!のライブでした!
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Candle Juneくん

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HEMP Waffleサーマルシャツ

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今シーズンはじめてつくったHEMP Waffleサーマルシャツ。
これがすごく着心地いい!
この生地はワッフル編で編まれたもので、凸凹した表面感があってそれが伸縮性を生む。
なのでTシャツよりも身体にフィットするし、この凸凹したところに空気の層ができるの
で、保温性が高い。
昔からアメカジとか好きな人には、このワッフルシャツは割とおなじみのモノだったり
するはず。アメリカでは本来、下着として実用的に着られていて「ぱっち」のような、
ボトムアイテムもある。
だからどっちかというと、日本でのラクダの下着?みたいな少しジジくさいイメージが
むこうではあるようだ。たぶんそんな下着がスリフトストアなんかに放出されていたのを、’60〜’70年代にヒッピーたちが安く手に入れてタイダイ(しぼり染め)なんか
して着始めたことが、時代を経て、デッドHEADSスタイルとか、ヒッピーイメージ、
リサイクルファッション・・みたいになっていったんだと思う。
もちろんアウトドアやフェスティバル好きなヒッピーたちだからこそ、このワッフルシ
ャツの実用的な効能?をよく知っていたはず。
ボクも以前からワッフルシャツは着てるけど、COTTON 100%とはまた違うHEMP 55%/COTTON 45%のワッフルは新鮮で、着ていてすごく気持ちいい!
ボディはヘンプTシャツと同じA HOPE HEMPのSLOW Turtle別注だけど、おそらく本国
アメリカにもHEMPのワッフルシャツはないはず。
いまの季節はスウェットパーカーの下に着るとあったかいし、これから春先のポカポカ
した昼間はこれ一枚でいい感じ。また、この上に半袖Tシャツを重ねてもいいしね。
春から秋のフェスでも、また夏フェスの夜用の一枚にもあると便利だし、長袖Tシャツ
一枚で出歩くシーズンまで、これからの季節にすごく重宝すると思います。 
ぜひ!
*Smile Every Morning ワッフルシャツ
*Growing Peace ワッフルシャツ
*Peace & Love ワッフルシャツ

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1フジ、2タカ、3ムスメ

正月頃の話その2
今年は年明け早々美しい富士山を拝むことが出来た。
1月5日よく晴れた一日となったこの日、東名高速を東に向かって走っていると眼
の前に真っ白に雪を頂いた富士のお山が現れた。 由比あたりでは海と富士のまる
で絵のような景色が。しばらくして渋滞につかまったので、富士川SAに入って休憩。
ちょうど夕暮れのうっすら染まる富士山にしばし魅とれる。
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翌日、訪ねた葉山ではこれまた正月とは思えない穏やかな暖かい一日。
娘と一緒に久留和海岸から長者ケ崎まで散歩する。海の上、まるで春霞のような空
に富士山が白く浮いている。シーカヤックや、なんて言うんだっけ?ロングボード
にそのまま立ってパドルで漕いで波に乗るやつ。あったかいとはいえ年明けそうそ
うこんな感じで海で遊んでるなんて、この辺りに暮らす人たちのライフスタイルは
いいなあ〜。瀬戸内も晴れたら穏やかだけど、やっぱり黒潮圏の暖かさとは少し違
う。いたるところアロエが繁って年中オレンジの花を咲かせている。
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帰り道、見た事ある白いワーゲンキャンパーが通り過ぎたと思ったら、携帯が鳴っ
た。このすぐそばに住む内田正洋さんで、きょう午後からの、ローカルの仲間内で
の新年会へのお誘いだった。 うれしいな〜。
電話を切って、それこそ内田さんの家のある近くまできたら、その近くの山から数
羽のトンビに混じって白いタカが! 最初は白いトンビかな?と思って、それはそ
れで「おおっ、スゲエ!!」って興奮していたら、2度3度トンビと一緒に舞うそ
の姿は少し尾羽のかたちが違っていた。
トンビより少し小さいくらいの、色は白に近い茶色。ミサゴやハヤブサのように白
黒はっきりしていないし、サシバにしては縞模様もあいまいでもっと薄い色。体も
少し大きいような。若鳥なのかそれともアルピノなのか、あまり詳しくないのでわ
からないが、晴れた空と照葉樹の緑鮮やかな山に映る白いタカは神々しくもあって、
残念ながら写真を撮ろうと構えた時には遠く点のようになってしまった。
白い動物が世界中で現れはじめていることは、この変化の時代へのサインだと、ラ
コタ・インディアンに伝わる白いバッファローの化身”ホワイトバッファロー・カー
フ・ウーマン”より授けられた伝説のパイプの19代目の保持者であるチーフ・アー
ボル・ルッキングホースの伝えるところ。しかしその変化へのサインはこの聖なる
地球存亡の警告でもあるとして、2004年夏至に行った祈りの集い
”World Peace & Prayer Dayせかいへいわといのりの日” を開催したのは富士山だ
った。
年明けの晴れ渡る太平洋から、眺める白き富士をかすめて飛ぶ白いタカの姿に、娘
と二人でそんな変わりゆく時代や地球環境、これからの未来について図らずも多く
のことを語らせてくれた。
そういえばホクレア号もこの海を通っていったんだよな・・。
しかし、正月早々富士山に鷹が舞うなんて縁起がいいじゃないか。
夕方からおじゃました新年会会場となったお宅から見えた景色も絶景だった。
富士山から伊豆半島全部が見渡せる相模湾に沈む夕日!!
初めて娘がつけてくれた熱燗でしこたまいい気分になった2008年お正月、最後の一日。
1フジ、2タカ、3ムスメ、こいつは春から縁起がええわい!
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瀬戸内カイゾク横断隊?

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TURTLE TALKでも書いた瀬戸内カヤック横断隊について、1月4日発売の
TARZAN No,503の連載コラム、「いざっ!カマ・ク・ラ」に載りました。
書いているのは、瀬戸内カヤック横断隊の隊長でもある海洋ジャーナリストの
内田正洋さん。内田さんは20年前からシーカヤックの世界に魅せられ、その
魅力を伝え続けてきた人。その前はパリ・ダカやバハ1000でのデザートライダ
ー。もちろんシーカヤックでも台湾ー九州や西表島から東京まで漕いだり、関
野吉晴さんのグレートジャーニーの出発地である南米最南端のフエゴ島にも同
行し漕いでいる。また昨年ハワイからやってきたホクレア号の日本航海をサポ
ートした中心人物でもあり、沖縄から最終横浜まで、ホクレアの伴走船カマ・
ヘ・レ号に乗って難所の多い日本の海を文字通り水先案内した人です。
そんなスゲー人生経験豊かな人と一週間余り一緒に海を漕いで、島に上がって
焚き火を囲んで、酒を呑み、その日の話に花を咲かせる日々は、もうなにもの
にも代え難いものがありましたね。
他の仲間も単独アラスカを何度も漕いだ強者や、西表でガイドしてた若者や、
はるばる仙台からやってきた者から、普段瀬戸内をそれこそ水軍よろしく縄張
りにしてる連中や、初めて日本一周したレジェンドカヤッカー、またエリート
サラリーマンから大学の教授、謎の貿易商に庭師の親方や大工の頭領・・年齢
も20代から60近くまで、多種多様な人間が集まって、毎日漕いで呑んで喰って
寝てを繰り返す・・(海賊か!)。
そりゃあ・・いま振り返っても塩味濃い〜日々でした(笑)。
そんな隊長はじめ隊員たちのレポートが詳しく載っていますので、興味ある人は
瀬戸内カヤック横断隊ブログまで!
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中央が内田さん。ホクレアに贈った記念Tシャツを作ってくれ、と勧めてくれた人でもある。