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野辺の送り

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11月終わりにこの時期恒例となった瀬戸内を一週間シーカヤックで漕ぐ「瀬戸内カヤ
ック横断隊」があって参加した。
http://blogs.yahoo.co.jp/oudantai/
それに続くカタチで行われたWATERMEN FOR PEACEという、祝島と上関原発予定
地である田ノ浦の間の海峡をサーファーやカヤッカー、海を愛するものたちが横断する
アクションもあって、これらを詳しくレポートする予定なんですが、12月帰ってきて
先ずは日常に追われていたら、次々と友人、仲間、知人の今生の別れの報が飛び込んで
きた。
最初は11月初めに内田ボブさんがライブで来た頃、その少し前の10月末にナンヤの
カンちゃんが亡くなった、との知らせがあったあたりから・・・。
カンちゃんは最後の長良川ウォークのゴール地点、河口堰の前で巨大な流木ドームを建
ててギャザリングを開いた時、黒くペイントしたバンでやってきた体格のいい丸刈りの
オッサンで、その風貌はどこからみてもその筋かテキヤの親分としか思えなかったが、
だみ声とその顔に似合わないやさしい笑顔とおいしい料理は、それからあちこちの祭り
の場でみんなの憩いの場所をつくってくれた。
最後に会ったのは浜岡原発を東海地震が来るまで止めたいと集まった「平和の集い」だ
ったか? 熱い真夏の祭りの夜はナンヤに集ってジョッキ片手にガハハと笑うカンちゃ
んの横で毎晩ボブさんやサワさんが吠えていたな〜。
それから岐阜の山の中にある自分の地所をコミューンのように解放し、若い連中集めて
住まわせながら時折祭りをやっていた。
結局そこには行けずじまいだったけど、ビッグハートな優しいおやぶんだった。
12月9日、今度は亀山の「月の庭」のマサルが逝ってしまった。
マサルとは’90年ロンドンからモスクワまでインディアン達が走ったセイクレッド・
ランの頃からのつきあいで、同世代のなかでいち早く、生き方をシフトしていろんな
事を実現していったヤツだった。
東海道三重の亀山宿で先祖代々営んで来た酒と乾物屋を自然、天然、本物の酒、食品
を並べる店に変え、毎月、新月会や、亀山雑学大学という交流会を主催し、講師に山
尾三省さんやナナオやデニス・バンクス達を招いて地域ぐるみで生き方を変える方法
を実践した。
そしてまだWWOOFという言葉もない頃から多くの若い旅人を面倒見て、そして満を
持して、そんな若者たちと古くからあった木造の酒蔵を改造して、自然食、自然酒の
レストラン「月の庭」を始め、日々のサロン的なスペースに加え、積極的にイベント
も行い、本当にたくさんの人とエネルギーを集めた。
ぼくらもビッグマウンテンのバヒやラコタのチーフ・クロードッグ、ピースウォーク
でトム・ドストウたちと一緒に、またそれ以外でも本当にお世話になった。
4年前にガンが判り、切らずに直すと決めてからは舞踏家、歌舞伎昌三として白塗り
、褌、剃髪で踊り歩き、沖縄辺野古や韓国まで出掛けていった。
お通夜で見た顔は、それこそ高僧か聖者のようだった。
それから18日、今度は亀の島からの知らせで、WPPD2004に参加してくれた、
フープ・ダンサーのセス・チーフ・イーグル君がスピリットの世界に旅立った。
彼は来日時はたしか14才で、初めての海外に少しホームシックに掛かっていたが、
南アフリカから来ていたズールーの人の、その凄惨な半生を聞いてから何かが変わり
、その後は向こうでもグランプリに輝いた、その見事なフープダンスを各場面で披露
して、たくさんの感嘆の声を残して帰っていった。
ラコタのくにでも、若い世代の良いお手本としてやっていたと聞き、19才の若き
死にたいして、いまはまだ言うべき言葉もみつからない。
冬至の日、その少し前から悪いと聞いていたスタジオ・リーフの大築さんが亡くな
った。
大築さんは「人間家族」というミニコミ誌を長年刊行してこられ、いまのようなイ
ンターネットが普及するまでは、マスコミが決して取り上げない原発や人権、先住
民、ディープ・エコロジー・・の現場の声を、それを求める心ある全国の草の根の
人達に伝え続けてくれた。
http://www.studioreaf.skybox.jp/
ぼくも時折、ビッグマウンテンのニュースや上関原発のレポートなどを載せてもら
ったし、2000年のビッグマウンテン・ウォークの時は当時ようやく広がりはじ
めたインターネット通信でのタイムリーな発信を、それを誌面の大半に掲載してく
れて、複数号にわたって伝え、そして残してくれた。
WPPD開催に向けてつくったチーフ・アーボル・ルッキングホースのメッセージ、
「ホワイトバッファローの教え」もスタジオ・リーフで販売もしてもらった。
また、TURTLE TALKでも以前書いた、詩人であり、この道の先駆者であるナナオ
サカキの詩集も多く出していて、最近またあらためてナナオの詩集のページを開き
、ネットでの仮想世界にはない喜びを、インクの匂いを嗅ぎながら感じる世界の素
晴らしさに、感じてもいたところだった。
http://www.slowturtle.net/turtletalk/TT005.html
ナナオを数年前まで南伊豆でお世話していたのも大築さんだった。
23日、その大築さんのお別れ会に行った友だちから連絡が入って、そのナナオも
亡くなった、との知らせが!
大築さんの写真の横にナナオの写真も飾られているから、「どうして?!」って聞
いたら、この日の早朝晩年を暮らした大鹿村の内田ボブさん宅の離れで亡くなった
と。
クリスマスの日大鹿村に向かい、降っていた雨は夜更け過ぎに雪へと変わる、まる
でどこかで聞いたことのあるようなホーリーナイトの、でも全然サイレントナイト
にはほど遠い,集まったミュージシャンや詩人や木こりや百姓や国籍や世代も幅広
い大人数のドンチャン騒ぎの夜となった。
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そんな形式を超えたフリーソングのような葬式は、色彩りどりの服装の友人達の乾
杯や拍手の中で、唄や踊り,詩や笑い声に混じって、怒声や泣き声の合いの手も加
わり、虹色に飾られた祭壇でセージやインド香の煙が絶えることなく、最後を看取
ったボブさんの絶妙で愛に溢れた唄と進行のなか、ナナオらしい、ふさわしいお別
れ会であった。
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銀河系宇宙太陽系地球ヤポネシア”部族”大長老の詩人は歩いてきた世界中の風が
しみ込んだ、体格のいい85年物の身体と”口に微笑み”たずさえた安らかな顔と、
立派な骨の灰を残して、”17才”のように自由になった魂で、歩き馴れた地球
”A”を後にして、地球”B”に向かって、また再び歩き出しているんだろう。
”これで十分”
ナナオの声が聞こえたような気がしたよ。
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     足に土
     手に斧
     目に花
     耳に鳥
     花に茸
     口にほほえみ
     胸に歌
     肌に汗
     心に風
     これで十分
       「これで十分」 ナナオ サカキ
さて、振り返ってみて、年齢もふくめさまざまな、旅立った皆にはなむけの、言葉も
なかなか思い浮かばないが、ナナオの報を受けた回りの人達から回ってきた言葉を
少し引用させてもらいたいと思う。
先ずはアースガーデンの南兵衛から来たメールにあった辻信一さんの訳されたゲー
リー・スナイダーの言葉から。
ナナオは星の道を歩くために旅立った。
いつだったか、ぼくはナナオに訊いたことがある。
愛する人を亡くしたばかりの友人に何といったらいいか、と。
ナナオの答えは、「おめでとう」だった。
だから、ナナオよ、ぼくは言おう、おめでとう、と。愛しているよ。
ゲーリーとベスより
“Nanao has taken off to walk the star path.”
When I asked Nanao once what I should say to a friend who had just lost a loved one,
Nanao said “Congratulations”
So, congratulations Nanao. We love you.
Gary and Beth
 いずれあの世で道のため、共に力を合わせよう!
これはナナオの盟友ポン(山田塊也)さんのサイトのナナオの言葉から。
カンちゃん、マサル、セス君、大築さん、ナナオ、
ありがとう!
いずれまた、ね!
ALL MY RELATIONS !
ナナオはいま書店に並ぶPLANTED(毎日新聞社)という雑誌に旅立つ直前の笑顔で
特集されています。
http://www.planted.jp/
  
仲間が立ち上げたナナオのサイト「ナナオの足あと」
http://amanakuni.bbs.fc2.com/