delete

ONE LOVE ! ONE HEART !

今年もいろいろありがとうございました!
2010年も美しい、平和な年でありますように!!
皆さま、どうぞ、良いお年をお迎えください!!
ONE LOVE , ONE HEART !
Let’s get together and feel alright !
ALL MY RELATIONS  !
ハル・スロータートル拝
nijikayak01.jpg
       (虹のカヤック隊 in SLOW Turtle Tシャツ!)

東京の20代の若者たちが立ち上げたGreen Heartsプロジェクト。
「緑のハートでつなげよう!PHOTOメッセージキャンペーン」
スライドムービー【第一弾】です。
http://ameblo.jp/greenhearts/entry-10420201408.html
スゴ〜くイイです! ぜひ、ご覧ください! そしてご参加ください!!

delete

HERE COMES ! RAINBOW ! ! 2009年、いくつ虹を見ただろう?

niji08.jpg
今年2009年もあとわずか。
毎年この時期に思うけど、一年ってこんなに速かったっけ?と。
世界も自分もいっぱいいろんなことがあったけれど、さて、振り返ってみてどんな一年
だったかな?
そう思って、普通に出来事を追うよりは、何か違う形で印象に残る景色とか、
そんな風に憶い出してみよう、と思ったとき、
ふと? 今年はいくつ虹を見たのかなあ? って思いついた。
それで、たしかいくつか写真撮ったなぁ、と i Photoを開けてみた。
niji01.jpg
今年の初めお正月はハワイに行った。こう書くとなにやら芸能人みたいだ、と我ながら
驚くが、ぼくの娘がいまハワイ島に住んでいて、それで会いに行った。
でも、いいところだったなあ。特に自然がすごかった。雪を頂くマウナケアやマウナロ
アを拝んだ翌日にカヤックでクジラに会ったり、潜ってウミガメを見た。そんな自然の
多様さ、ダイナミクスがやっぱりよかったなあ。
もちろんハワイはこの時期は雨期でヒロでも毎日のように雨が降って、そして虹が見れ
たけど、反対側のカラッとしたコナの近くに住む娘は、ハワイに来て初めての虹だ!っ
て言っていた。
niji02.jpg
そして3月はじめ、京都郊外の、田んぼと里山に囲まれた「わく星学校」であった
”ナナオサカキの旅立ちを祝う集い”にて、ナナオに引かれてみんなが集まった。
そして尺八や歌や思い出を捧げ、ナナオの旅立ちを祝っていた。
niji12.jpg
途中、ぽかぽかの庭に出て和んでいた時、中のステージでは宮崎さゆりさんのポエトリ
ーがはじまっていた。良く晴れた早春の日和のなか、突然雨がぱらぱら降り出して、だ
れかが言う。
きつねの嫁入り~?
中から、灰になったナナオの斎場でも聞いた、さゆりさんのナナオへのお別れの詩が聞
こえて、「あ~、り~、が~、と~、う~」と結んだ時、その天気雨がひときわ強くな
った。
太陽は西に傾きかけていて、予感がした。それで前の田んぼに降りて、お日様と反対方
向を見ると、「やっぱり!」 大きな虹が出ていた。その七色の虹の橋の一方が向こう
の田んぼに下りていて、「おお、ナナオが地球Bから下りてきた!」なんて、おもわず
叫んでしまった。
大村カズさんが祭壇つくってみんなでお祈りを捧げた、ちょうどその先の方。
な~~んて! いろいろ盛り上がってしまうほど、完璧なタイミングの虹だった。
ナナ色のナナオのレインボウ!
niji03.jpg
次は桜の季節。恒例の内田ボブさんとナーガ(長沢哲夫)の「春風めぐる」ツアーがあ
って、その終わりの頃、ボブさんと一緒に有馬温泉向かう途中、山腹から鮮やかな虹の
柱がドン!と街と海の方に掛かっていて、おもわず車を停めた。
niji11.jpg
ボブさんとナーガは山口県の光市の虹が浜で行われた第3回目の「アースデイ瀬戸内」
のエンディングも飾ってくれたっけ。
niji13.jpg

夏、恒例のフジロック。その準備の時に、日蝕があった。そして今年も相変わらずの雨
スタートのフェスティバル。それも初日はけっこう本格的に降って夜のいくつかのイベ
ントが中止になったほど。でも翌日かな?晴れ間が出てきて虹の予感。残念ながらぼく
らのいるフィールド・オブ・ヘブンでは見れなかったが、隣のオレンジコートでは大き
な虹が見えて、みんな大喜びしたそう。
NO RAIN , NO RAINBOW  ハワイのことわざにもあるもんね。
niji09.jpg
8月、娘が友達といっしょに里帰り。夕方海岸に行ったら、夕焼けの空に大きな虹が。
それもダブルレインボウ! その後もどんどん虹も夕焼けも色鮮やかになっていって、
とても日本とは思えない風景だった。でも、そのあと雨が降り出した、と思ったら、
夜には大雨になって、そして兵庫県の佐用町で大きな被害を出した水害も起きてしま
った。
niji04.jpg
この時の虹は一体どんなサインだったんだろう?
さて、それ以来,虹は見てないような気がするが、9月から始まった山口県の上関町で
計画されている新規原子力発電所に伴う埋め立て阻止行動へ駆けつけた色とりどりのシ
ーカヤッカーたちが、いま虹のカヤック隊と呼ばれている。
ぼくも、たまにしか行けないが、その一員だ。
niji10.jpg
                             (写真:英 智郎)
これは4年前の夏至の頃、最初にカヤックで駆けつけて以来、そのカヤックの色がカラ
フルできれいだった事と、アメリカ・インディアンの伝承にある「虹の戦士」に因んで、
こう呼んだのがはじまりだ。
地球が危機に瀕したとき、世界中から肌の色の違うたくさんの人々が集まってきて、母
なる地球を癒すために仕事をはじめる。
そんなビジョンに夢と希望を感じ、自分たちもその一人でありたい、とね!
また虹は調和のシンボルだ。
みんな違う色のまま、それぞれに輝き、互いを補い尊び合う。
そんな世界が来るのも、もうすぐだ!と信じたい。
そういえば10年前の1999年に始まった「虹の祭」も、奈良、月山、白山、阿蘇、、、
そしてビッグマウンテン、ハワイ、富士山といろいろな場所を巡り、その縁をつないで
今に至っている。
さあ!来年は、アイヌモシリで、大間や六カ所村のある縄文の聖地、下北半島で、天狗
様の住む高尾山で、浜岡や美浜や伊方や島根や玄海のプルサーマル予定地や原発現地で、
八ツ場ダムや長良川や錦川や諫早や泡瀬干潟で、岩国や沖縄辺野古や高江で、上関で、
広島で、長崎で、、、そして世界中で、調和と多様性、母なる自然、平和、、、
ばらばらに分断されたぼくたちの命すべて、それらを繋ぎ合わすために、
美しい、大きな虹を、かけようよ!
niji06.jpg
世界に、そしてこころのなかに!
PEACE ON SETOUCHI !
PEACE ON YAPONESIA !
PEACE ON MOTHER EARTH !
HERE COMES ! RAINBOW ! !
niji07.jpg

delete

2009〜DAYS JAPAN 存続の危機!定期購読のお願い

11B7EEB9E6C9BDBBE6A5C7A1BCA5BF-thumbnail2.jpg
●特集 祝島 原発を拒否する人々
この号を全ての国会議員に配ったとも聞いた!
いま申し込みされるとDAYS JAPANのピンバッヂと広河隆一さんのA4モノクロ写真
がついてきますよ!
以下、広河隆一さんのメッセージを転載します。
<広河隆一からのお願い> (転送歓迎)
DAYSは12月9日に日本写真家協会賞を受賞しました。
写真界では日本でもっとも権威ある団体から評価を受けてうれしく思っています。
フランスのペルピニヤンでの審査員を務めるなど、海外での評価も高まっています。
世界で今ではほとんど唯一となったフォトジャーナリズムの雑誌を絶やしてはいけな
いという励ましも、多く受けます。
東京都写真美術館では、サルガド展開催中に、DAYSのサルガド特集号は300冊以上
を売ることができました。
週末の私の大阪講演で、年間定期購読者は19人増え、これでキャンペーン開始からの
新規定期購読者は、370人になりました。
私の写真展を開催していただいている三重県の宮西さんのメールが発信されてたった
1日半で、21人の方々が定期購読を申し込んでくださいました。
これで390人になりました。
DAYSが存続をかけたキャンペーンをしているということを聞いて、朝日ニュースタ
ーの上杉隆キャスターは、22日(火)の8時から生放送を準備していただいています。
皆さんのおかげで、DAYSはなんとか6周年に向けて進んでいます。
「500人定期購読者が増えれば、存続できます」というキャンぺーンの500人という
数字に、あと110人に迫ってきました。 
しかし正直言いますと、DAYSはまだ6周年を迎える3月以降も存続できるかどうか、
確約することはできない状況です。
お金が全くないというわけではありません。
DAYSはこれまでまったく借金をしないで、6年近く続けてきました。
そしてまだ私たちが手をつけていないお金があります。
それはDAYSにもしものことがあって、休刊せざるを得ないことが起こったら、すで
に定期購読をしていただいている方々に、残金を返金
するためにとってあるお金です。
このお金に手をつけざるを得ない状態になりそうになったら、私は皆さんに事情をお
話して、DAYS休刊のお知らせをする覚悟でいます。
営業や拡販をする立場から言いますと、年末年始の休暇は、恐ろしい時期です。
この時期には書店に行く人は激減し、すべての雑誌の売りあげが低迷するからです。
今出ている12月号は店頭からあと数日で姿を消し、1月号が書店に並びます。
しかし世間はすぐに年末・年始の休暇に入るのです。
その前にこのメールを出しておきたいと思いました。
「努力すれば続けることができたのに、しなかったから休刊になった」などと、あと
で後悔したくないからです。
これまでDAYSを支えていただいた方々にお願いします。
まず定期購読をお申し込みください。
年内の特別キャンペーン中にお申し込みいただけますと、定期購読料は7700円と
1000円引きになります。
かつて購読していただいたけれども、最近は購読を止めているという方は、もう一度
購読をご検討ください。
すでにご購読いただいているは、周囲の人に広めてください。
1人でも2人でも増やしてください。
定期購読期間がまだ残っている方も、継続手続きを今していただけますと、7700円
になります。
あと数日で書店から姿を消す12月号も、読んでいただいた方からは、高い評価をいた
だいています。
まだお読みになっていない方は、ぜひとも書店でのDAYSを購入してください。
書店の人に、「おや? DAYS販売の流れが変わってきたな」と思わせるような、動
きを作りたいのです。
ボランティアの方々にお願いします。
さまざまなイベントでのご支援、本当にありがとうございました。
物販、定期購読拡大、周囲の人へのDAYS購読呼びかけなど、いま一度のご支援をお願
いします。
DAYS JAPAN編集長
広河隆一
—————————————————
■DAYS JAPAN公式サイト(定期購読バナーに注目☆)
http://www.daysjapan.net/
■定期購読申込ウェブフォーム
http://sv62.wadax.ne.jp/~daysjapan-net/waseda/days-koudoku.html
■ブログ「存続キャンペーン」
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/135219671.html
————————————————-
≪定期購読は下記の方法のいずれかでお願いします≫
方法�
DAYS本誌48ページ綴じ込みの振替用紙、または郵便局備え付け振込用紙にて7700円
のご入金
(通信欄に、◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読
開始号をご記入ください)
方法�
FAXにてのお申込み◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号
◆希望購読開始号をご記入頂ければ別用紙でも結構です。
(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
FAX 03-3322-0353
方法�
E-mailにてのお申込み
◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号を
ご記入の上弊社まで送信ください。
(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
E-mail info@daysjapan.net

delete

2004〜DAYS JAPAN復活!

さて、そんなきっかけを与えてくれたDAYS JAPANが廃刊になって以後、国や電力会
社などスポンサーの顔色ばかり伺うかのような御用マスコミばかりが巷で目に余る状況
が続いてきたのは周知だろう。この長い間ゲンパツや核施設の危険性を取り上げる事は
メディアでは一大タブーとなってしまったかのようである。そして今世紀初めの911事
件が起き、直後アフガニスタンに戦争を仕掛けたアメリカが掲げる戦争行為への正当性
と、それを真っ先に支持追従する日本始め多くの国やまたそれに対する大手メディアの
報道姿勢への不信感はピークに達した。
そしてまたやイラクが、その侵攻理由の正当性も当時から疑われていたにもかかわらず
開戦へと突き進んでいた2003年秋頃に広河隆一さんやかつてのDAYS JAPAN関係者が、
この当時と同じ名前を持つDAYS JAPAN誌を再び世に出そうと、そう呼びかける文面が
ネットで届いた。
それは一枚の写真が世界を動かす、という写真ジャーナリズムの絶対的な信念と、その
理念を曲げないためにはかつてのようにスポンサーに頼らない、そのいかなる影響から
も自立したメディアでなければならない、と。
このようなものとして新たなる創刊へと呼びかけられたものだったと記憶する。
そのためには書店での一般販売やスポンサー広告に頼らない一般読者からの年間定期購
読料でその運営を担う。
ぼくはDAYS JAPANという名前から憶い出す良質なメディアの薫りを再び、脳裏という
より魂に呼び起こされ、これに感動し、そしてさっそく年間定期購読を申し込んだ。
そうして残念ながらイラクは開戦となったが、時を同じくした2004年の4月号で新生
DAYS JAPANはまた再び帰って来た。
その創刊号の特集は「大義なき戦争」だった。
そんなDAYS JAPANだが、その後その主旨に賛同する心ある企業も現れたと見え、裏表
紙や中にも毎号いくつかの広告も載り、都会の大きな書店等では書棚に並ぶようにもなっ
ていった。
そして、ぼくも引っ越しとかもあって次の年からは年間購読継続を更新せずに時折書店で
見かけては買って、そしていまに至ってしまっていた。
いくつかの書店に並ぶのを見て、どこか安心していたんだと思う。
そして、今年の秋、上関原発建設に伴う埋め立て工事阻止が始まり、僕もカヤック持っ
て現地に通い始めた頃、DAYSの「祝島特集」に喜んだと同時に、DAYS JAPAN存続の
危機を伝える知らせがまたインターネットニュースとなって飛び込んできた。
ちょうど、フジロックや朝霧JAMで、UAとも親しいミュージシャンでもありアーティ
ストの広河さんの娘さんと少し話もしたりしたこともあって、余計自分の人生とこの
DAYS JAPANとの縁も自分なりに感じてはいた頃だったから、これはヤバイ!一大事
だと、またまた驚いた。
もう二度と、こんな良心的でなおかつ素晴らしいメディアをこの世から無くしてしまっ
ては、それこそ孫子の代まで、その影響は計り知れない、と。
そして10月25日、上関原発予定地に設置するブイを9月10日以降止めていた山口県の
平生町の田名埠頭で行われた「2009反原子力デー 上関原発いらん! in 上関集会」に
て広河隆一さんの講演と屋外写真展が行われ、そこでまた定期購読を申し込んだ。
広島、三里塚、自衛隊、祝島、、、88才にしていまなお写真を撮り続ける伝説の報道
写真家で、ぼくも今年の春に初めてお会いした福島菊次郎さんの連載も始まったばかり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/福島菊次郎
かつてベトナム戦争などに従軍し、その戦争の実態を写真で伝え、ベトナム戦争の終結
を早めたとまで言われる沢田教一や、そして福島菊次郎や広河隆一のような、世界で起
きている事、その真実を伝え続けるジャーナリストをこれから先の未来にも生み出すた
めにも、こんな良質な媒体としての紙のメディアを残さなければならないと本当に思い
ます。
なので、ぜひ、みなさんにも出来れば定期購読をお願いして、この日本の良心的メディ
ア雑誌を支えていただきたいと強くお願いする次第です!
どうぞ、よろしくおねがいいたします!!
SLOW Turtle
山口ハル 拝
hirokawaryuuichi.jpg
(「2009反原子力デー 上関原発いらん! in 上関集会」にて話す広河隆一さん)
days01.jpg
(会場に出されたDAYS JAPAN存続キャンペーン!定期購読申し込みブース)
hirokawa03.jpg
(展示していた写真より:スリーマイル島事故の後、たんぽぽの巨大な葉っぱ、など
発育の異常な草花がたくさん確認された、と言う)
hirokawa02.jpg
(展示していた写真より:上関原発予定地にチェルノブイリを重ねて、もし事故が
起きればどうなるかをシミュレーションしたもの。赤いところが地図から町や村が
消えたところだそうだが、何故飛び地になっているかを広河さんに聞いてみた。そ
れは雨が降ったから、だという。でも現地ではこれは人工的に雨を降らせたのだと
言う専門家もいると聞いた。放射能が向かうその先に人口800万人のモスクワがあ
るから。この飛び地の赤いところは、丁度ぼくの実家のある岡山と兵庫の境あたり、
そして四国の高松周辺と重なる。もし上関で事故が起きれば、人口の多い神戸、大
阪、京都、、そして東京を守るためそこに向かう前に人工的な雨が降らされるんだ
ろうか?)
hukusimakikujirou01.jpg
(今年のアースデイ瀬戸内の帰りに、祝島の闘いを数多く写真に収める、一主婦で
写真家の那須圭子さんに案内されて福島菊次郎さんを訪ねた。
hukusimakikujirou02.jpg
那須さんにお借りした福島菊次郎さんの貴重な写真集の数々。中には「戦後の若者
たち」として若き山尾三省さんやナーガたちの姿も映っているものもあった。)

delete

1988〜DAYS JAPANとその時代

DAYS JAPANというフォトジャーナリズム誌をご存知の方も少なからずいると思うが、
かつては’80年代終わりの頃に講談社からサラリーマン向けに出されていた月刊誌だっ
た。
ちょうどバブル真っ盛りの時代。その頃ぼくはサラリーマンでデザイン企画の部署にい
た。やりもしないゴルフのウェアやたまにはやるけど全然熱心ではないスキーのウェア
なんかを企画しながら、全国で急増するゴルフ場やスキー場の開発のその片棒を担いで
いるような罪悪感をだんだん憶え始めていた。それでもこれが仕事なんだと納得させて、
シーズンの先々を予測する流行という実体のないものに追われる日々を送っていた。
また、それでいながらバブル時代の夜遊び文化?には熱心で、出来始めたクラブイベン
トやおしゃれなバーで夜な夜な朝まで遊んでいた。
でもそんな時代でもまだ、ジョン(レノン)の存在やボブ(マーレイ)の歌はリアルに
身近にあったし、グレイトフル・デッドをかじり始めたり、インディアンの本やビート
のケルアックやギンズバーグを読み漁ったりと、自然破壊や夜遊びの罪悪感の反動から
か、そっちのアンテナも少しづつ伸びていた気もする。そんな時、決定的に重大な事と
して起きたのが1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故だった。
1979年に起きたアメリカのスリーマイル島原発事故のことも当時ニュースとしては届
いていたが、これに関してはそのことを訴えるジャクソン・ブラウンやドゥービー・
ブラザース、ブルース・スプリングスティーンなどが集まって開かれたNO NUKESコン
サートの2枚組レコードの方に関心があって、肝心の原発の危険性にはそれほど心配が
及んでいた訳ではなかった。でも、当時のアメリカのそうそうたるミュージシャンが集
まって原子力発電への危険性を訴える大規模なコンサートを即座に開くあたり、さすが!
ウッドストック時代からの伝統が生きているなぁ〜と、うらやましささえ感じたもんだ。
いまから思うといかに原発のメルトダウン事故が恐ろしいか、と理解できるんだけど。
(このNO NUKESコンサートの2枚組レコードはCD化されていて、先日ぼくも手に入
れました!いま聴いてもスゴくいいです!)
51X7A3NNJGL._SL500_AA240_.jpg
でも、それ以降、原発の危険性を告発する書籍が書店に並びはじめ、いまもよく耳にす
る、それほど原発が安全なら東京に造ればいいじゃないか、という言葉の元となった
瀬隆
「東京に原発を!」などが出版されたりしていた。
しかし、このチェルノブイリ原発事故のニュースは少しづつ、その全容が判るにつれ
事態の重大さは計り知れないものとなり、当時カフェバーやDISCOマハラジャに代表
されるような浮かれたバブルニッポンの乱痴気騒ぎに冷や水を浴びさせただけではな
く、聖書の黙示録で語られる「にがよもぎ(チェルノブイリはロシア語でニガヨモギ
だとされる)」をも連想させて、世紀末に向かう人類の滅亡やハルマゲドンなど、終
末予言までが、その現実味を帯びさせた。
またチェルノブイリ原発事故の影響はもちろん日本一国だけのことではなく、結果と
してソ連邦が解体し、ベルリンの壁に象徴される東西冷戦の終わりを早めたとも言わ
れている。
まあ、そんな危険な原発が当時ニッポンでも既に30数基稼働中だったから、以降、
堰を切ったようにそれら原発に関する書籍が書店で平積みされ、その頃広瀬隆が出し
た「危険な話」などは子供を持つお母さんたちにも広く読まれ、広瀬現象なるものま
で生み出して反原発ブームとさえ呼ばれるようになった。
そりゃあ、母乳からチェルノブイリ事故の放射能が検出されたりもしたんだからね!
もう完全にバブルなんかで浮かれてる場合ではなくなった!
そんな時代を背景に生まれたのが、先にも紹介した忌野清志郎の発禁アルバムCOVERS
「サマータイム・ブルース」であり、

そして1988年4月に創刊されたこのDAYS JAPAN誌。
これに掲載されていたのが、広瀬隆であり、そして現DAYS JAPAN編集長の広河隆一
の一連のチェルノブイリ、スリーマイル島、ウィンズケール、青森県六ヶ所村での放射
能汚染の危険性を伝える記事だった。
当時のDAYS JAPANは、それこそ講談社から出されていた雑誌だったから、小さな書
店でも、たぶん地方の本屋さんでも置いてあったと思う。だから手にした人は結構いた
んじゃないかな〜? ぼくも毎号とまでもいかなくても結構マメに買っていて、真面目
に読んでいたし、いまでも全部実家に置いてあるハズだ。
またその同じ年’88年の夏に八ヶ岳で行われた「NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り」
に巡り合って、そこでその頃関心が芽生えていた環境問題やソフトエネルギーや脱ゲン
パツやインディアンやアイヌやオキナワ、先住民や少数民族文化など、、いわゆるオル
タナティブな世界、バブルに象徴される生き方とは違う、もう一つの生き方に出会った。
そして同じ頃広島から出発して各地の原発や六カ所村を巡り、最終北海道の放射性廃棄
物施設候補地の幌延まで走るインディアンたちの祈りのランニング「SACRED RUN」
が行われていた。その提唱者でアメリカン・インディアン運動(A I M)の指導者でも
あるデニス・バンクスや今はもうこの世にいないフロイド”レッド・クロウ”ウェスター
マンやホピの予言のメッセンジャー、トーマス・バンヤッケ翁にもここ「いのちの祭
り」で出会った。
いま振り返ると、この頃の出会いと気づきが僕自身の生き方に大きく影響し、いまに至
る旅のきっかけになっていると良く判る。
そんな時代の中、このメジャーだけれども、大きく現代の文明にまで警告を発していた
ような記事の詰まった毎号届けられるDAYS JAPANはぼくの曇った目を開き、現代社
会に、そして世界に大きく意識を広げてくれたと思っている。
そして、いままでの日常がだんだん息苦しく思えてくる中、それでもなんとか意識は社
会や地球と繋がっていようとこの雑誌を毎月愛読していたんだが、’80年代の終わり頃に
出た号で突然!DAYS JAPANは廃刊してしまった。
その2ヶ月前の号に載ったアグネス・チャンの講演料が事実と違う、という理由で謝罪が
あり、これが社会的な信用を損なったとして休刊する、と説明があったが、その同じ号に
掲載されたアメリカ・インディアンの聖地から日本の電力会社がウランを購入する契約を
したとする記事が実際の原因なんだ、と後にぼくらの耳には入ってきた。
そしていよいよ世紀末ラストの10年を迎えようとする1990年、インディアンたちの祈り
のランニングSACRED RUNが初めてロンドン〜モスクワ間のヨーロッパ大陸を走ること
となり、それをオーガナイズする事務局が大阪にできた。そこで初めてオーガナイザーで
あるダコタインディアンの詩人でA I Mリーダーでもあるトム・ラブランクと出会った。
そのトムから各部族の特徴的なデザインが施されたSACRED RUNヨーロッパ用のランニ
ングウェアを創って欲しいと頼まれて、友人たちにも手伝ってもらいながらTシャツをは
じめいくつかのウェアを制作した。その時初めて環境へのダメージとか商業的な目的だけ
ではない、デザインする事の楽しさ、仕事への喜びを感じ、これが直接今に至るきっかけ
となっているのは言うまでもない。
また、このトム・ラブランクこそが広河隆一をインディアンの聖地であり、また有数のウ
ラン鉱山として、従事する多くのインディアンがヒバクし苦しむ場所に連れて行った案内
人、その人だった!と、知ったのだ。
そしてぼくはその夏、ホピの予言の舞台でもあり、膨大な地下資源採掘による大規模な
環境破壊とそこに住むホピとナバホの住人に対する強制移住で揺れる聖地ビッグマウン
テン
を初めて訪れた。ここでの体験はいままでもいろいろなところで書いてもきたが、
自分の人生を決定的に変える大きな出来事であり、いまでも最も大切にしている体験で
あり場所である。
この講談社DAYS JAPANの時代とその頃の多くの出会い、そして大地と生命の危機の
象徴としてビッグマウンテンでの体験を通して見えてくる、ニッポン列島ヤポネシアの、
祝島(上関)や六カ所村、長良川、諫早湾、辺野古や高江、、、など各地で起きている
ことが、本当にリアルにそしてシンプルに、その問題の本質が見えるのだ。
(続く)