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参加募集!ぶ ん ぶ ん 通 信♪ 関 西 あ ち こ ち 上映ツアー

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2010年は国連が定めた「国際生物多様性年」です。そのため多様な生き物や生息環境
を守ろうと結ばれた生物多様性条約の、10回目の締約国会議「COP10」が今年10月、
愛知・名古屋で開催されます。
それに向け5月22日の「国際生物多様性の日」にちなんで、この日
「祝☆生物多様性の日パレード関西」(仮称)を大阪で開催しよう!
そして、ここ関西でもそのために、先ずは大きくつながりあいましょう!と、
以下の呼びかけを行っています!
辺野古で、ヤンバルで、泡瀬で、諫早で、上関で、錦川で、長良川で、八ッ場で、高尾山
で、六カ所村、大間のある下北半島で、日本中の原発現地で、アイヌモシリで、ヤポネシ
アで、アジア、環太平洋で、ビッグマウンテン亀の島で・・・世界中、母なる地球の聖な
る場所で、
多様で豊かな生命(いのち)と祈りのつながりを、共に築きそして深めていきましょう!
森羅万象、八百万の神!
ALL LIFE IS SACRED !
ALL OUR RELATIONS !
スロータートル 山口晴康 拝 
ぼくも実行委員です!Let’s get together ! 力を合せましょう!

*以下、転送、転載、大歓迎!!************************
参加募集!
ぶ ん ぶ ん 通 信♪
関 西 あ ち こ ち 上 映 ツ ア ー
ツアー参加上映会・連携イベント・協賛
   大募集

*****************************************************************************************************
関西と瀬戸内海でつながる
山口県・上関町長島(かみのせきちょうながしま)、田ノ浦湾。
そこは、スナメリクジラやカンムリウミスズメをはじめ、数々の希少ないきものたちが
暮らす、「いのちのゆりかご」。
開発の進む瀬戸内海にわずかに残された、手つかずの貴重な海は今、
原子力発電所建設計画による埋め立ての危機にさらされています。
そして、予定地の対岸に位置する祝島(いわいしま)には、歴史と伝統を守り、自然
と共に生きる人びとの暮らしがあります。
________________________________________
30年近く前に持ち上がった計画
今ならまだ間に合う!
昨年10月から、予定海域の埋め立て準備工事が始まり、
今この瞬間も現地では、工事を阻止・監視するための活動が、24時間体制で行われて
います。 阻止行動の現場には、応援の声や様々な形でのカンパが届いていますが、本
当の意味で問題を解決していくためには、問題解決を現地任せにせずに、ひとりひと
りが当事者として関わっていくことが、必要ではないでしょうか。
とりわけ、瀬戸内の海を共有している関西に暮らす、私たちの果たす役割は大きいと
考えます。
________________________________________
映画を観て話そう、深めよう、描こう
そこで、鎌仲ひとみさんが制作中の映画『ミツバチの羽音と地球の回転』の、制作過
程ビデオレター『ぶんぶん通信』の上映ツアーを、関西に暮らしながらこの問題に関
心を寄せる有志で企画しました。
『ぶんぶん通信no.1~no.3』では、祝島の伝統的な暮らし、上関原発計画の現状、問
題解決に取り組む人びとの姿、予定地周辺に生きる生物達、そして、脱原発・脱石油
社会や地域の自立に取り組むスウェーデンの実践が紹介されています。
これらの映像に触れながら、理解を深め、私たちに何が出来るのか、向かうべき未来
はどのようなものなのか、共に語らう機会を作れたらと思います。
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フィナーレはパレード!それぞれが自立した、ゆるやかで大きな連帯を
今回のツアーの大きな目的は、つながりを深めることにあります。
上映ツアー全体を、広島から始まった「No Nukes Relay」との連携イベントとする他
、各上映会場では「Green Heart Project」、「布メッセージ作り」を行いたいと思い
  ます。
また、上映ツアー終盤である5月22日「国際生物多様性の日」には、
「祝☆生物多様性の日パレード関西」(仮称)を大阪市内で開催します。
上映ツアー中に作った布メッセージを持ち、緑深まる、初夏の大阪を歩きましょう。
尚、この日には山口、東京などでも同様のパレードが行われます。
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関連イベントも大募集♪
『ぶんぶん通信』上映会に限らず、関連する写真展・署名活動、各種映画上映会など
の、連携イベント企画も大募集!
申し込みいただいた情報はブログに掲載させていただきます。
また、上映ツアー中に配布する共通パンフレットも作成、協賛広告も募集しています。
今回のツアーが、上関の問題を知り、考えること、関西とつながる瀬戸内海の自然を
守り、いのちの輪を守ることにつながっていくよう、心から願っています。
ひとりでも多くの方の参加をお待ちしています。
[上映ツアー期間]
2010年3月中旬~5月中旬
上映ツアー全体のチラシ、ツアー中に配布するパンフレットの
制作スケジュールをふまえ、3月中旬以降の企画を募集します。
5月22日に予定している「祝☆生物多様性の日パレード関西」 をもって、ツアー終了
とする予定です。
[申し込み要項]
「ぶんぶん通信」上映会・連携イベントとも、
以下の内容を明記の上、「ぶんぶん通信♪関西あちこち上映ツアー」
実行委員会までご連絡ください。
1. イベント内容
「ぶんぶん通信」上映会の場合は、
上映するナンバー(no.1~no.3)についてもお知らせください。
2. 開催日時
3. 会場
4. 参加費
5. 主催
6. お問合せ先
『ぶんぶん通信』上映会の場合—————————————
●申し込み期限は2010年2月7日(日)とします。
●2月7日までに申し込みいただいた上映会情報を、3月初旬から配布予定の、ツア
ーチラシ・ブログ・ツアー中に配布するパンフレットに掲載いたします。
●2月7日以降に申し込みいただいた上映会情報は、ブログ・パンフレットなどで
随時紹介していきます。
連携イベントの場合———————————————-
●申し込みいただいたイベント情報は、ブログに掲載いたします。
●2010年2月末日までに申し込みいただいたイベントについては、パンフレットに
も掲載させていただく場合があります。
【協賛広告・カンパも募集しています!】
●2010年2月末日までに申し込みいただいた協賛広告(1口2,000円)は、ブログ・
ツアー中に配布するパンフレットに掲載いたします。
●「ぶんぶん通信♪関西あちこち上映ツアー」実行委員会までご連絡ください。
【参考サイト】
「ぶんぶん通信」(映画「ミツバチの羽音と地球の回転」)http://888earth.net
No Nukes Relay http://nonukesrelay.jugem.jp/
Green Heart Project http://ameblo.jp/greenhearts/
布メッセージプロジェクト
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-61a8.html
上関原発を建てさせない祝島島民の会 http://blog.shimabito.net/
長島の自然を守る会 http://green.ap.teacup.com/sunameri/

ツアー実行委員会メンバーも募集中!
また、関西以外からの参加についても、お気軽にご相談ください♪
【問い合わせ・申し込み先】
ぶんぶん通信♪関西あちこち上映ツアー実行委員会
  http://sites.google.com/site/achibun/
電話:080-6947-2491(冨田)090-8535-4130(藤原)
メール:takafumitomita1320@yahoo.co.jp

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1/30, 2/20, 3/20 祝島茶会 @ 京都

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いま関西でいっしょに六カ所や上関、祝島の核施設や原発モンダイなどをやってる仲間の
一人にタナベちゃんという女性がいる。
彼女はグラフィックのデザイナーでもあり、祝島のパンフや上関の署名お願いのパンフで
そのステキな才能をご覧になった人もいるだろう。
いまは京都在住で、それで定期的に「祝島茶会」という名前のお茶会というか、サロン風
なお勉強を兼ねて?の集まりを京都で開いている。
それで、今後のスケジュールをお知らせする次第なんですが、なんと3月20日(土)の
vol.4に、ぼくもお話させてもらうこととなってしまった(笑ー冷汗)。
まあ、六カ所村ラプソディ以降、また若い世代や新しい人たちが、こんな現実に関心を持
ち出した昨今と、’80年代かつて一度盛り上がったNO NUKESの時代の、そのあいだを埋
める?
そんな話を頼まれたこともあって、それで自分でもこのブログを通じて,当時の事を確認
する意味でも、いろいろ書き出した。
と、いうかぼく自身,何故かそんな時代のことを書いておかねば、と思って書き始めた時
に、こんな話をいただいた、って言う方が正解かな?
vol.4 まあ、お時間あればお越しくださいませ。(*4はインディアンでは聖数だ!)
もちろん次回vol.2、vol.3にも、ぜひご参加を!
原発の計画って,止めれたり出来るんだ!?なんて、なかなか聞けない話を聞く事ができ
るハズです!
ALL OUR RELATIONS !
以下、主催者より。転送・転載歓迎************************

「祝島茶会 vol.2@京都出町柳かぜのね」

20010年1月30日(土)
(No Nukes Relay参加)
[報告会]
昼の部 14:00−16:00
夜の部 18:00−20:00
※写真展は入場無料、報告会は参加費500円
◎報告会トークゲスト(昼・夜とも)
松浦雅代さん
(和歌山 原発がこわい女たちの会)
1944年和歌山市に生まれ、育ち、現在もこの地に住む。
1962年より製鉄会社に勤務し、結婚・出産、1968年退社。
1979年スリーマイル島の原発事故をきっかけに、和歌山が原発候補地であることを知り、
放射能について学びはじめる。
市民が自らの意思で考え、動くことが民主主義の第一歩、日々実践中。
◎現地の写真展も予定しています。
13:00-22:00(入場無料)
※報告会の開催中は、ご入場いただけない場合がございます、ご了承ください。
●会場
かぜのね
〒606-8204 京都市左京区田中下柳町7-2
電話 075-721-4522
メール info@kazenone.org
http://www.kazenone.org/

【アクセス】
京阪本線もしくは叡山電鉄「出町柳」駅6番出口より、徒歩約1分
●報告会参加費
500円(祝島のびわ茶・お菓子付き)
●報告会定員
約30名(なるべく下記までご予約をお願いします。)
●ご予約・お問い合せ・主催
田名部工房
ateliertanabe49☆gmail.com
090-9993-9893
(なるべくメールが助かります。
☆を@マークに変えて送信してください)
◎主催者より
開発という名のもとに、自然に大幅に手を加える工事が多かった二十世紀。
親の世代にずっと言われ続けてきた言葉。
「そのおかげで、飢えを知らずに大人になれたじゃないか」
過去を否定するつもりはないし、必要な開発もあるとは思う。
でも、いつもベストな選択だったのかは、よくわからないままだった。
ほんとうのことが知りたいと思う。犯人を見つけたいのではない。
それをたどれば、最後は自分の足元なんだろう。
ただ、今決める番の自分が、少しでもまっとうな選択ができるように。
ここ関西で、大規模な原子力発電所計画を、市民運動で止めた

和歌山県日高(ひだか)町・日置川(ひきがわ)町。
今よりずっと、ものが言いにくかった時代に、その選択を実際にした方々がいる。
そのことを知って、ぜひお話を伺いたいと思った。
どうしてみなさんは、原発を作らない選択をされたのでしょう。
そして、現在の町の様子は?
今回お話を伺う松浦さんは、計画のあった現地ではなく、同じ県の市内在住。
現地の人にしかできないこと、逆に、現地だからこそできないこと。
それぞれの役割を理解し、各自ができることを深めながら、新しい関係性を育てていか
れたことが、この最終的な選択につながったようです。
和歌山の反原発運動の歴史から、私たちのこれからの選択に、
必要なヒントがあるのではと思います。
ぜひご参加下さい。
◎「祝島茶会」とは!?
主に上関原発問題について、おいしいお茶をいただきながら、ざっくばらんに語り合う
お茶会で、すでに全国各地で開催されています。
現地から届いたおいしいびわ茶をいただきながら、原発のこと、電気とエネルギーのこ
と、大きな事業が現地に持ち込む対立のこと、地方と都市のこと、そして、私たちのこ
れからのこと…ゆっくりお話しませんか?
報告会では、すでにこの問題に興味を持っている方、なんらかのアクションを起こして
いる方を中心に、各自の活動報告や、情報交換をできればと考えております。
もちろん、ちょっと興味があるだけの方や、はじめての方、
「原発は反対ではないんだけど」という方も大歓迎。
壁面を使った写真展や、現地の小さな物産展、現地の食材を使ったお菓子や軽食等、毎
月企画しています。また、びわ茶の試飲は終日無料です。
お気軽にお立寄りください、お待ちしております♪
◎今後の日程・トークゲスト(予定)
2月20日(昼の部のみ)
冨田貴史さん(RadioActive)
3月20日(昼夜とも)
山口晴康さん(Walk In Beauty Project・虹のカヤック隊)

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15年目の神戸〜and beyond

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1月17日は阪神淡路大震災から15年目の日だった。
それで早起きして神戸の三宮の公園にて行われる追悼式典に出掛けた。
関西に戻った5年前よりほぼ毎年出向いているけど、やっぱり15年という節目と日曜日
が重なって今年は例年になく大勢の人が来ていた。
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地震のあった時間午前5時46分ちょうどから黙祷を捧げ、しばらくして人が少なくなっ
た頃、ろうそくを献灯した。
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1995年当時、その3週間程前に一時帰国のつもりでアメリカから帰ってきて、久しぶり
のお正月を日本で過ごした。そしてビッグマウンテンのご縁で長野に住むニッパチさん
に誘われて佐久の望月にできたばかりのスウェットロッジに出掛けた。その翌朝電話で
聞いたこの地震。それで東京経由で関西に戻ってきて神戸に入り愕然とした。
当時アメリカに居る間友人が住んでてくれた高層の公団住宅は、部屋の内部はぐじゃぐ
じゃで、天井のコンクリートにもひびが入り、後に半壊と認定された。
そこから歩いて15分くらいのところで阪神高速道路が横倒しになり、周り全て見渡す
限り、いままで見慣れた街の風景はこの世の物とも思えないくらい壊れ果てていた。
そして国道2号線沿いに建っていたティピを見つけて、そこでしばらくボランティアした
のが「神戸元気村」だった。
この元気村の代表だった山田和尚、通称バウさんと追悼式典で久しぶりに会った。
「お互いあの頃は身体が動いたなあ、若かったなあ〜」と笑い合ったが、バウさんは
いまももちろん動いている様子だ。でも、お互い15年たってるから、まあ、多少動き
が鈍るのはしかたないか(笑)。
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(山田バウさん)
大阪心斎橋「若松」の親方で名ジャンベ奏者の大二郎も来ていた。彼も震災の頃は桑名
正博さんたちとバイクで物資を各避難所に届けていた。今日も大阪からバイクで来て、
寒くて死にそうだった(笑)と言っていた。
でも、この日来たのは15年ぶりだったらしい。
大二郎も彼が10代の頃からのつきあいだが、いまや良きパパをやっているらしく、可愛
い娘の写真を見せてくれた。
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また10年前の今頃、飛騨高山の位山からビッグマウンテンまで歩いた祈りのウォーク
” The Long Walk for Big Mountain ” 以来のつきあいで、いまもビッグマウンテン
に通い有機の百姓もやっているシンゴとマイちゃんのカップルも今年も来ていた。
   
何故か毎年この場所で亡くなった人の数と同じ本数の竹ろうそくを前に、祈りを捧げるこ
とから新たな一年がはじまる。そんな想いが毎年強くなる。
今年も東京からCandle Juneくんも来る予定だったが、前日から風邪で寝込んでいるらし
く今年はJuneくんのスタッフ3人がやって来てくれた。
彼らと別れ、朝日を浴びながら帰る途中に電話が鳴った。出てみるとJuneはジュンでも
違う純さんからだった。
アメリカNYの北部の森の中に、地元ではピースパゴダと呼ばれている御仏舎利塔を建て
、そこのお寺に住んでおられる日本山妙法寺グラフトン道場の庵主さんで安田行純法尼
の通称、純さんだ。
純さんは年末よりしばらく日本に帰っておられて、いま京都だと言う。それで、会いまし
ょう、と言うことになり、今日が震災の日だと言うと、では神戸で夕方5時半頃に同じ場
所で、と約束した。
そして夕方再び同じ公園に来たが、うっかり携帯を忘れて来てしまった。朝と同様人が多
かったが、この季節は日が少し長くなっていて、これなら見分けがつくだろう。しかし待
ち合わせ時間が来ても会えなくて、5時46分の黙祷の頃には日も暮れ始めた。その後は暗
がりの中ろうそくの灯りだけとなり、人の判別がしづらくなってきた。それで近くのコン
ビニに公衆電話を探しにいったが、このあたりには無いと言う。(思えば震災を契機に関
西では携帯が普及しはじめたよな)
さて、会えるかな〜?と思い始めた頃、どこからか、聞き覚えのある太鼓の音が聞こえ
てきた。
音の鳴る方に人をかき分け進んでいくと、「やっぱり!」純さんとシンゴが竹ろうそくを
前に地面に正座し、団扇太鼓をたたき「ナムミョウホウレンゲキョウ〜、〜」と唱えて
いた。しばらくぼくも後ろに座っていたけど、マスコミの格好の被写体となったみたいで
、パシパシ写真を撮られた。
どこか夕刊にでも載ってませんでしたか(笑)。
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ぼくが純さんに初めて会ったのは、1992年10月のワシントンDCの国会議事堂前だった。
その年の夏、10年務めた会社を辞めパートナーと共にアメリカ大陸亀の島に旅立った。
ビッグマウンテンでのサンダンスを皮切りに、その年明けサンフランシスコから歩き始め
た祈りのウォーク” Spiritual Walk 1992 and beyond “を目指し、途中オハイオから合流した。
このウォークは、当時ナバホ、ホピの住む、聖地ビッグマウンテンに一人で庵(いおり)
を建て住んでいた、同じ日本山妙法寺の島貫潤二上人が自ら始めた巡礼であった。それ
は、この年500年目を迎えたコロンブス”発見”以降、現在も続く数々の先住民に対する
侵略とたくさんの犠牲に対して、大地を歩き、その行為を捧げものとすることで癒し、
そしてこれからの500年をもう再びこのようなことが起きないための祈りとしよう。
そのために、コロンブス発見500年に沸くアメリカ合衆国を歩き、本来この島の住人で
あるいくつものネイティブたちのくにぐにを巡礼し、そしてコロンブスが来た10月12日
には首都ワシントンDCに到着し、次なる500年へ希望の祈りを届けよう。
そう誓願して始められたものだった。
島貫上人とは、’90年初めて訪れたビッグマウンテンで出会った。
当時バブル期のニッポンでサラリーマンしてた身からすれば、電気も水道もないビッグ
マウンテンに住むナバホの長老たちの存在はそれこそ神話のようだったが、そんなとこ
ろに一人木を伐り土で固めたナバホのホーガン式の小屋を道場にして住んでいた、この
島貫潤二上人の存在自体にも驚いた。
端正な顔立ちの人だったが、それに似合わない無頼な感じの、虚無な空気を時折醸す、
この人は一体どういう経歴で出家し、何でこんな所に住んでるんだろうか?と、大いな
るナゾが深まった。それまで知っていた普通の日本の坊さんといえば、どちらかと言え
ば世俗的で、金襴緞子なお寺に住んで、いい身分だなあ(笑)なんてイメージの方が強
かったから、こんな原始的な出家の世界を強いる日本山妙法寺という宗派は一体何なの
か?と。
島貫上人なんて、アリゾナの砂漠の中にビルマの竪琴みたいな格好で、それでいていろ
んな部族のインディアンたちからHEY ! JUNJI とか呼ばれながら、黄色い袈裟をスカート
に剃髪の頭にセージを巻いて、サンダンスまでここで踊っていたからね〜。
「あのスキンヘッドは何というトライブだ?」なんて初めて来たサンダンサーに言われ
たりね。
この同じ時に出会った日橋さん(通称ニッパチさん)も元日本山の御出家で、当時は50
代後半くらいだったか、カリフォルニアのサンタバーバラというリッチタウンに居候し
ながら、毎夏ビッグマウンテンのサンダンスに駆けつけていた。
この時も若いヒッピー娘のいかしたおんぼろワーゲンバスに乗って小さなバッグひとつで
やってきた。
ニッパチさんも、も一つ輪をかけたような!小柄ながらその存在感は強烈で、ビッグマ
ウンテンでのサンダンスのスウェットロッジに一緒に入ったら、フンドシ姿に背中には
なんと!大きな墨が入っていた。
顔つきはナバホのじいちゃんみたいで、髪は三つ編みのロングヘアー。よくスウェット
の中、自己紹介で「アイム ニッパチ、ノット アパッチ!」とか言ってインディアンの
連中を笑わせていたっけ!
とにかくこんな人たちがいる日本山妙法寺というのは一体どんなところなんだ?って
素朴に、そして強烈に興味が湧いたのはしょうがないだろう。
その後、島貫上人から届いた手紙でこの’92年のウォークの事を聞かされて、一緒に歩
きませんか、と誘われた。その頃、丁度会社を辞めてアメリカ大陸亀の島のインディ
アンたちのくにぐにを巡って、いろいろ教えを請いたいな、と。ちょっとカスタネダ
やローリングサンダーとかにも憧れて、いろいろ思いが膨らんでいた頃だったから、
これはもうビジョンだ!このタイミングだ!と、そう決めてこのウォークに行く事にした。
当時インディアンの精神的な運動に触れはじめて、いろんな事を知りはじめた中で、特
に1978年に行われた大陸横断のインディアンたちの行進 ” The Longest Walk “や続い
て’80年に行われた ” The Long Walk for Survival “の話とか強烈に印象に残っていた。
また’88年、東海岸から西海岸までアメリカを横断して日本に渡り広島から北海道まで走
った ” Sacred Run (当時はLongest Run for Land and Lifeと呼んでいた)” や ”90年の
” Sacred Run Europe “との出会いもあって、自分としてもインディアンの世界をより深
く知るためには、先ずは彼らの住む大地にこの身体と想いを捧げるために歩きたい、と。
そう思い始めていたから、コロンブスが来て500年目の年に行われるこのウォークの話は
もう正に、願ったり叶ったり!だった。
そんな’92年のウォークだったが、夏、ぼくらが参加した頃にはもう歩き始めて三分の二
以上が過ぎていて、いろいろ問題も起きていた。いや〜島貫上人も大変そうだったな。
それでもぼくらにすれば見るもの触るもの全て新鮮で、子連れで参加しているラコタの
お母さんや、チェロキー、セミノールの若者たちと一緒にアメリカ人、日本人混じって
、毎日毎日20マイルから時には30マイルほど歩きながら、身体毎この大陸を見て感じ
得たことは、何ものにも代え難い体験となった。
政治犯として刑務所に入れられているA I Mリーダーのレナード・ペルティアをサポート
するTシャツやビッグマウンテン・サンダンスTシャツ始め、各地でお世話になった平和
運動の拠点に置いてあったメッセージTシャツとか、そんなTシャツのかっこ良さや力強
さに目覚めたのも、このウォークでのことだった。
そして目的地であるワシントンDCが近づいて来た頃、自発的に断食をしようとするウォ
ーカーたちが現れた。それは、この500年間に起きた殺戮や侵略または母なる大地への
破壊など、それらに対する少しもの癒しとならんとする想いと、それがもう2度と繰り
返されない世の中になって欲しいことへの願いとして、2日、3日、中にはサンダンスと
同じ4日間を水も飲まない断食で歩く者など出はじめた。
みんな、一歩一歩歩いてくる中で、自分自身も浄化され、知らず知らずのうちに祈りが
深まってきた、そんな証しでもあったと思う。(こんな感覚はなかなか説明しづらいけ
どね)
もちろんぼくらも断食して歩き、そしていよいよワシントンDCに到着した。
ワシントンDCの国会議事堂に着くと、そこにはたくさんのアメリカ人の、特にベテラン
ズ・フォー・ピースと呼ばれる平和を願う退役軍人たちがなんと!9月1日から10月12日
コロンブス・デーまでの42日間!の断食を行っていた。中には核兵器を積んだ貨物列車
を止めるために線路に寝そべり、どうせ逃げるだろう、と脅しのために突っ込んで来た
列車に轢かれて両足を切断したブライアン・ウィルソンという著名な平和活動家も車イス
姿で断食していた。
それはヨーロッパ系アメリカ人としてこの500年間に起きた全ての侵略と殺戮を、この大
陸だけではなくアジアやベトナムにおいても同じであると考えて、それらへの少しでも贖
罪とするために、文字通りいのちがけの行為だった。それは何かに反対して行うハンガー
ストライキとは少し様子の違う、祈りの一つのかたちとしての断食でもあったと思う。
この光景に出会い、アメリカという国の良心、そしてそこに大きな希望の光を感じた事は
、今でも忘れることが出来ない。
その断食の輪の中に、せめてその半分でも、と21日間断食していたのが、純さんだった。
そこでぼくらも全員、国会議事堂のリンカーンの像の前の階段で、最後の4日間の断食を
共に一緒におこなった。
そうして500年目の昇る朝日を集まった大勢のインディアンやアメリカ人や、そしてた
くさんの日本山妙法寺のお坊さんに混じって大きな輪の中、無事迎える事ができた。
その後、DCを後にして、当時仏舎利塔の建設中だった純さんのお寺を初めて訪れて、し
ばし休憩をいただきながら少しお手伝いをさせてもらった。
そのうち一人二人・・と、ウォーカーたちが帰路につくため出て行く中、ぼくらは何故か
逃げ遅れて、そのままサンクス・ギブン・デーを迎えることになった。
そしてまたもや断食しながら歩くこととなったのだ(笑)。
イギリスからピルグリムファーザーと呼ばれる人たちが初めて上陸した場所プリマスまで
、途中にある原子力発電所を巡りながらピースウォークを行った。ここで、最初はヨーロ
ッパ人を助けたが、後にヒドい目にあわされたこのあたりに住むインディアンの末裔たち
がたくさん集まって、現在も続く悲惨な現実に抗議するギャザリングに出くわした。
その時一人のインディアンから、当時カナダで起きている巨大ダム計画の実態を詳しく知
ることになった。トム・ドストゥという名前のアベナキ・インディアンだ。
そして12月を迎えて、お寺では氷点下10度にまでなった雪の中、また1週間の断食をや
り、明けて2日後より純さんが誓願した、今度は北のカナダ、ケベック州にあるイヌー・
インディアンの居留地に持ち込まれた巨大なダム計画の撤退を求める祈りのウォーク
” Walk in Prayer “を歩くこととなった。(ほんとは、もうあったかい南の方に脱出した
かったんだけどねー笑)
「若松」の大二郎もその頃ここにいて、それでいっしょに極寒の地まで歩いた仲だ。
毎日ヒゲにつららをぶら下げながら、時には吹雪のなかクリスマスも正月も歩いた。
途中お世話になったインディアンたちから、ビーバーの肉やトナカイをごちそうにな
ったことはいい思い出だ。
でも到着して4日間、歓迎のごちそうを横目にまた断食したけどね(笑)。
以後、毎年アメリカを旅する時、7月アリゾナのビッグマウンテン、8月サウスダコタ
のローズバッド、そしてミネソタのパイプストーンと、それぞれサンダンスの後は東
に車を走らせて、純さんのお寺にたどり着く。そこでいろいろ手伝わせてもらいなが
らしばらくやっかいになり、御修行の真似事ながら時には断食やウォークを歩かせも
らい、多くの教えと体験を頂いた。
ここグラフトン道場は周りを広葉樹の森に囲まれた、かつてはこのあたりに住んでいた
モヒーカンの人たちの石組みの遺跡が残る素晴らしい場所だ。
この森の紅葉が、それはもう見事な10月のガンジー翁の誕生日の頃、毎年行われるピ
ースパゴダの落慶式典にはノーベル平和賞受賞者や数多くの平和活動家、名の知れるイ
ンディアンのチーフや指導者たち始め、地元のたくさんの人たちが集まって盛大にお祝
いが続けられている。
そして普段も日本からも不登校のティーンエイジャーやフリースクールに通う子供たち
も純さんを慕って集まってくる。
これは、もちろんその日本の仏教への関心もさることながら、日本山妙法寺の教えと、
その教えをシンプルに、そして深く実践する純さんの人柄と修行を通じた人徳に依ると
ころが大きいと思う。
アメリカに限らず、世界中の平和運動の最前線やかつて日本でも平和運動、反核運動、
反原発運動の最前列には、この独特の黄色い袈裟をつけた剃髪の、団扇太鼓を打ち鳴ら
す日本山のお坊さんたちの姿があった。
沖縄、広島、長崎、先の9条WALKでも、、もちろん今も各地を歩き、祈っておられる。
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ぼくらも10年前のいまごろ” The Long Walk for Big Mountain “を歩いたとき、東京
のアメリカ大使館まで歩いた後、海を越えてアリゾナのフラッグスタッフから再びビッ
グマウンテンを目指す行進の時に、純さんと市川さんという庵主さんが駆けつけてくれ
一緒に歩いてくれた。
この時のウォークは、その2年前に亡くなったニッパチさんのサンダンスのパイプと鷲
の羽根を先頭にそれに続いて歩いて行った
。そして祈りをビッグマウンテンに捧げたセ
レモニーの後、同じく’96年に亡くなった島貫潤二上人の道場跡に行き、お線香とお経
とお太鼓、そして感謝を捧げ
ビッグマウンテンを後にした。
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 (映画” The Long Walk for Big Mountain “ のDVDより)
因みに、純さんやニッパチさんは、1978年に行われた ” The Longest Walk “で初めて
アメリカに渡り、以来インディアン運動と深く関わりながら平和運動を修行とされてき
た人たちだ。
日本山妙法寺というのは大正時代に藤井日達という高僧が、日蓮宗から独立してつくら
れたのだそうだ。
そして当時、仏教が生まれた国にも関わらず仏教が廃れていたインドに渡り、マハトマ
・ガンジーと運命の出会いを果たし、そこでお釈迦様の教えである「不殺生戒」とガン
ジー翁の説く「非暴力」が結び合ったのだと。それで今でもガンジー・アシュラムの毎
朝の諸宗教の祈りの最初に「ナムミョウホウレンゲキョウ〜」から始まると言う。
そして「世界平和」こそが、いまこそ宗教者全てが目指すべき最高の目標であるとして
、寺に固持せず、世界の紛争地に団扇太鼓一丁持って、それを打ち鳴らしながら世界の
平和を求め歩くことを修行とした。また昔のアショカ王の故事に倣って、争いを止める
平和の象徴として、お釈迦様の遺骨を祀る仏舎利塔を世界中に建立するのだそうだ。
その平和行脚のご修行、功徳により、自然とお寺も出来、仏舎利塔も現れるのだ、と。
しかしながらこの現実世界において、世界の平和を脅かす、その最も大きな脅威として
アメリカという国と、それに象徴される生き方に問題がある。
しかし、このアメリカという世界で最も強力で、建国以来常に武力を世界中に行使する
国が、もし平和国家に変わることが出来るなら即ち世界も平和になるだろう。その為に
どうするか?その鍵となり薬となるものが同じアメリカの中にある。
それが真のアメリカの住民であるインディアンの人たちだ。
彼らは500年に亘り、くにを奪われ殺戮されてきたにも関わらず、精神性の高い簡素な
生き方をまだ失ってはいない。もし彼らインディアンの生き方がこの世界から消えるよ
うなことになれば、世界も遠からず破滅するだろう。
その生き方にアメリカのみならず、我々は学ばなければならない。そしてその生き方を
実践することで平和な世界が実現するだろう。しかし、そのインディアンの生き方を滅
ぼそうとするこの度のアメリカの法案に対抗して、そんな彼らが自から起こした、この
自らの生存をかけた” The Longest Walk “という非暴力の行進はアメリカという国に真
の平和を打ち立てる、その最初の大きな一歩となるだろう。だから弟子であるあなたた
ちは、インディアンの人の後ろについて歩き、彼らを助け、彼らのためにいのちを棄て
なさい!
そう日達上人は看破したのだそうだ。
純さんたちはお師匠様である日達上人から、こう命を受け、いのちをかけて歩きにきた、
と言う。
島貫潤二上人は在家の頃、続く” The Long Walk for Survival “を歩き、純さんやニッパ
チさんたちに出会い、そして後に日達上人の亡くなった報に接したとき出家を決意した
という。
ニッパチさんも出家から足は洗ったが、ビッグマウンテンには欠かさず通い続けた。
’88年のSACRED RUNでは最初から最後まで走り通し、日本各地でインディアンに間
違われながらも多くの縁をつないだと聞く。そしてそれらの縁を翌年からビッグマウン
テンのサンダンスにつなげ、日本から多くの人が毎年訪れる、そんなご縁をつくった人
である。
’90年ぼくらもその縁がつながってビッグマウンテンを訪れることが出来たのだ。
また六カ所村に今は亡きホピのメッセンジャー、トーマス・バンヤッケや同じく今はい
ないシックスネーションのオノンダガのクランマザーだったアリス・パピーノやトム・
ラブランクたちが来て国際ウランフォーラムを開催した時も駆けつけて、再処理工場予
定地前で断食して祈っていた。そんな写真も当時のミニコミ誌に残っている。
ニッパチさんは、死ぬその最後まで団扇太鼓とサンダンスの道を貫き通した人だった。
nippa034.jpg
(ニッパチさんこと、日橋政男さん)
ぼくは、そんな純さんや潤二上人、ニッパチさんたちと出会い、インディアンの道に多
くの導きをいただき、多くを学び、そして不肖ながらも今も尚、この道の末端を歩かせ
ていただいていると思っている。
純さんは、こわいです(笑)。普段はアメリカにいるのに、いつぞや天空オーケストラ
の岡野くんたちとヒロシマ原爆の残り火を持ってイギリスのグラストンバレーフェステ
ィバルに行くためにヒースローの空港着いたら、聞いたことある太鼓の音と共に、にっ
こり笑った純さんが立っていた。
こんな感じで、いつもこわいくらい完璧なタイミングでよく現れます(笑)。普段ぜん
ぜん連絡とかしてないのになあ、、、!
今回会う予定だったCandle Juneくんも911の後、グラウンド・ゼロ目指して行ったキ
ャンドルオデッセイの旅の最後に純さんのお寺にたどり着いた。その映像を後で見せて
もらって驚いたしね!
そんなJuneくんの代わり?に純さんが来た今回の神戸だったけど、一晩うちで泊まられ
て、久しぶりに朝のお務めをご一緒した。そして’88 Sacred Run の映像を一緒に観て、
知らなかったエピソードを改めていっぱい聞くこともできた。
最後に2000年のビッグマウンテンのウォーク以降を少し振り返ってみたいと思うが、そ
の春より神戸元気村のバウさんが20世紀最後の年に原爆の火を世界中で灯し、次の世紀
を核のない平和な年にしようと呼びかけて、一人“火”を持ち歩き始めた。
そして秋、この時は純さんは来られていないが、偶然!? ’90年一緒にカナダまで歩いた
アベナキのトム・ドストゥが来日して、一緒に東京から広島まで原爆の残り火を持って歩
くピースウォークをすることに繋がった。そして広島到着の後、有志で長崎まで歩く途中
に上関原発計画を知り、この火と共にはじめてここを訪れ、長崎爆心地にてヒロシマの火
と共に新しい世紀を迎えた。
2001年9月11日が起きた後、グラウンドゼロまで歩いた純さんは、今度は原爆ドームか
ら911遺族のアメリカ人たちと一緒に奈良の桃尾の滝の仏舎利塔まで歩かれた。そして
12月にはハワイにて、原爆の火を前に60周年と911が重なったパールハーバーを望み、
ハワイのネイティブや日系の人、駆けつけたぼくら日本人とで平和を祈った。
そして、そのままこのは船に乗り、アメリカ大陸に渡った。
2002年明けてキング牧師の誕生日、純さんとトム・ドストゥ、シンゴたちは運ばれた
爆の残り火
を掲げシアトルのチーフ・シアトルのお墓から、核に関するさまざまな場所
を巡り、最終911グラウンド・ゼロまで巡礼した。ぼくらも最後駆けつけてグラウンド・
ゼロでセレモニーをもち、そして久しぶりに純さんのお寺を訪問した。それから一緒に
ビッグマウンテンに向かい地元のナバホとホピの人たちと、この原爆の残り火を、大地
に還すセレモニーを行った。
2003年から2004年にかけてはオーストラリアのウラン採掘場となったアボリジニの聖
地から、シンゴたちと一緒に純さんは原爆の残り火持って歩き出した。そして日本に渡り
六カ所村から原発現地を巡り、2004年夏至に世界中から先住民が集まって「せかいへい
わと祈りの日(WPPD)」
が富士山で開催された場所に、そして広島、長崎までWALKは
続いた。
翌2005年の夏至にWPPDが始まった最初の場所サウスダコタのブラックヒルズで区切り
となるWPPDセレモニーに向けてウーンデッド・ニーから純さんたちは歩き、会場で断食
し祈りを捧げた。
3年前の2007年は純さんはWalk 9で最終六カ所村にも行き、また広島から日達上人の
生まれた阿蘇にあるお寺まで歩く途中に、祝島にも寄ってくれた。
そして一昨年は” The Longest Walk “30周年で再び行われた” The Longest Walk 2 “で、
純さんは再びアメリカ大陸を歩いている。
去年はフランス、ドイツにまたがるライン川沿いを世界中から集まって来た人たちと両国
を行ったり来たり歩いたと聞く。
・・・・インドやスリランカ、オーストラリアやヨーロッパはアウシュビッツからヒロシ
マまで歩き、アフリカも奴隷となって黒人たちが連れて来られた道を歩き、そしてアメリ
カ大陸”亀の島”はもう何度インディアンの人たちと共に歩いていることか、、、。
そんな純さんの夢は、アメリカからアラスカまで北上し歩いてベーリング海峡を越え、
シベリアから南下してチベットそしてお釈迦様の生まれたインドまで、インディアンと
アジアを結ぶ巡礼がしたい、と。そう昔、お寺で聞いたことがある。いまは温暖化の影
響で北極圏の氷が溶けて難しい、って少し前には言われていたけどね。
でも、いつかきっと!純さんならやりそうだし、できたら一緒に歩いてみたい!
ここに書いたのはぼくが聞いたり、いっしょに関わらせてもらったことのほんの一部で
、これ以上にもっともっと純さんは日々、歩いておられる。
そんな、いまも平和を歩き続けておられる純さんだが、今年は先ず3月から5月にかけ
てNY北部のカナダとの国境付近、ナイアガラの滝の辺りにあるセネカというインディア
ンのくにの、そこに造られた核の廃棄場から出発して、シックス・ネーションズを全て
巡って、そこからNYマンハッタンの国連本部で開かれる核廃絶を願う核不拡散条約
( NPT )再検討会議
に向けて歩かれるらしい。
これには「ホピの予言」の宮田監督の娘のアヤちゃん始め、日本からも大学生たちが何人
も参加する予定だそう。
あ〜、久しぶりに亀の島歩きたいな〜。
どうですか、みなさん、参加されませんか? 
でもこうやって純さんに会うと、はからずもスピリットに喝!を入れられる。
普段サボってる身としては、いや〜、ありがたいです!
またいつかご一緒に、三歩後ろにくっついて歩かせてください!
・・・マハトマ・ガンジーの塩の行進、沖縄の阿波根昌鴻(あわごんしょうこう)
さんが始めた乞食行進、インディアンたちのThe Longest Walk・・・、そんな草
の根の民たちが、非暴力の力を信じ、祈りのひとつの現れとして自分自身を捧げ歩
く。そんな精神的なウォークは、人と人をつなげ、メッセージをつなげ、分断され
た数々のエネルギーをつなぎあわせ、そしてまた次なるビジョンをつなげてゆく。
ぼくは自分自身そんなウォークの体験を通して、そう感じています。
ビッグマウンテンの人たちは、祈りの最後に必ずこう祈ります。
”今日も美の内を歩めますように!”
MAY WE ALL , WALK IN BEAUTY !
ナムミョウホウレンゲキョウ〜
合掌三拝
(どなたか純さんの映画つくったらいいと思うなあ〜!鎌仲監督に言ってみよう
かなー笑)
bmwalkdvd01.jpg
*2000年ぼくらが歩いた” The Long Walk for Big Mountain ” の記録映像が大重潤一
郎監督の作品としてDVDになっています。ナレーションは亡くなる直前に山尾三省
さんがつけてくれました。音楽、岡野弘幹with天空オーケストラ、内田ボブ他。
純さんも映っています!
http://www.walkinbeauty.net/report2006dvd.html
*” The Long Walk for Big Mountain ” 詳しくはレポートをご覧ください!
http://www.walkinbeauty.net/lwbm.html
*長野県の大鹿村に住む河本カズさんという人が、1978年のインディアンたちの行
進 ” The Longest Walk “の最初の頃に参加したただ一人の日本人として、その貴重
な経験を自ら書いています。そのきっかけとなった日本山のことなども出てきます。
またカズさんは初めて日本にビッグマウンテンのことを伝えた人でもあり、そして
2000年の ” The Long Walk for Big Mountain “の時の日本側のオーガナイザーとして
” The Longest Walk “で授かった最も大切なスピリットをぼくたちに伝えてくれまし
た。長い文章ですが、ぜひ呼んでみてください。ALL MY RELATIONS !
http://www.osk.janis.or.jp/~kazkawa/longestwalk1978.htm

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DAYS JAPAN 存続キャンペーンの報告とお願い!あと700人の定期購読者がどうしても必要です!

あらためてみなさま、ご賛同、ご支援どうぞよろしくおねがいします!
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———–転送転載歓迎—————————————-
DAYS JAPANを支えてくださるみなさま
DAYS JAPANでは昨年9月から進退をかけた「存続キャンペーン」をよびかけてい
ます。
年末に広河の流した一通のメールから、波紋のように動きがひとつの強い流れとな
り、 多くの方がひん死のデイズを守るためにご協力下さいました。
現在1月中旬デイズには目標の半ばを超える数の定期購読お申し込みが届いています。
これでデイズはとりあえず「すぐに廃刊」という危機を脱しました。
しかし、あと700人の定期購読者がどうしても必要です。
ところが、1月10日を過ぎて、申し込み者の増加は小康状態になり、私たちは再び
みなさまに訴えたいと思います。
まだ定期購読をされていらっしゃらない方、どうか定期購読をお願いします。
存続キャンペーンのチラシをいろいろな人にお渡しください。
このメッセージを多くの方にお知らせください。
デイズを知らない人にデイズを広めてください。
営業部ではどんなチャンスにも最善を尽くすよう
色々な場所で存続キャンペーンを訴えています。
そのような場所をあたえて頂けるような機会があれば教えてください。
雑誌というジャンルのメディアには大変に厳しい現在ですが、デイズはまだ廃刊
することはできません。
どうか3月9日、デイズが6周年を迎えるその日まで、存続キャンペーンに協力して
ください。

DAYS JAPAN
広河隆一
スタッフ一同
■DAYS JAPAN公式サイト(定期購読バナーに注目☆)
http://www.daysjapan.net/
■定期購読申込ウェブフォーム
http://sv62.wadax.ne.jp/~daysjapan-net/waseda/days-koudoku.html
■ブログ「DAYS存続キャンペーンの報告とお願い」
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/138401854.html

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緑のハートに虹をかけよう!

peacekayak02.jpg

RAINBOW PEACE on HEART of SETOUCHI !

虹のカヤック隊のブログ出来ました!今年も応援よろしくおねがいします!!
http://ameblo.jp/nijinokayaker

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Green Hearts ~祝いの島の祈りのうた~   作曲・詞 れいちぇる
空がこんなに 広いこと
海がこんなに 澄んでること
人がこんなに あたたかいこと
忘れかけていたんだ
潮風に舞う 海の恵み
お日様の色した 山の恵み
泥んこのブタ 耕す大地
命をいただく匂い
千年の時越え守られし 祈りの祭
子から孫へと受け継がれてきた宝を
未来へ残すため
人の心のカタチをした
小さな島の 大きな願いが
きっときっと叶いますように
それはみんなの願いだから
たくさんの想いつなげて
今、届けよう
人の愚かさ 嘆くよりも
人の優しさ を信じたい
やさしい風に 吹かれながら
心の声が聞こえた
夕映えの空に響きわたる 魂の叫び
守りたい海 守り続けたい心が
ここにあるから
人の心のカタチをした
あたたかい島に あふれる笑顔が
ずっとずっと消えないように
それがみんなの笑顔になるから
たくさんの想い集めて
大きな力に
この島の全ての命が
この地球(ほし)の全ての命が
もっともっと輝けるように
みんなかけがえのないものだから
たくさんの想いつなげて
今、届けよう
今、伝えよう
                       (Green Heartsプロジェクトより)
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年末にもお知らせしましたが、
東京の20代の若者たちが立ち上げたGreen Heartsプロジェクト。
http://ameblo.jp/greenhearts/entry-10420201408.html
その「緑のハートでつなげよう!PHOTOメッセージキャンペーン」
スライドムービー【第一弾】です。
このブログのトップページの右上にある”緑ツナガル。”という文字はEARTH DAY
TOKYO 2006のポスターやパンフ用に使われたもので、うちの娘が10才の時に書か
せてもらったものです。このプロジェクトが出来たとき、立ち上がったばかりのブ
ログを開いて真っ先に飛び込んできたのがこの文字です!
そんな、何かご縁も感じるGreen Heartsプロジェクトの活動のひとつとして、出来
たばかりムービーですが、何度見てもステキです。
次回に向けてぜひボクも、またハワイにいる娘にも伝えて、緑のハートの写真を送り
たいと思っています。
ALL MY RELATIONS !