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縁の行者(最終章?)

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今月の初め、兵庫県の瀬戸内沿いの西の端、忠臣蔵の舞台でもある赤穂で、懇
意にしているお寺のお祭りがあった。
お釈迦様の誕生を祝う「花祭り」であるが、このお寺では子どもたちも参加で
きるように、春休み中の4月第一土曜日に毎年行っている。
ここは、天台宗の普門寺というお寺で、とても立派な千手観音さまが祀ってある。
ぼくはここ赤穂で高校を卒業するまで過ごし、いまでも実家があるため時々帰っ
ては、瀬戸内でシーカヤックを漕いでいる。
でも同じ赤穂とはいえこの普門寺とは、実家が離れているので、大人になるまで
来たことはなかった。
それが、1995年の夏。この年、被爆50年に合わせて広島に来ていたビッグマウ
ンテンのディネ(ナバホ)・ファミリーのバヒ・キャダニーさんたちを、その帰
りにぼくのホームタウンでゆっくり休養してもらおうと、初めて赤穂に連れてき
たことがあった。
その時、たまたま友人が普門寺に出入りしていて、貸していた「ホピの予言」の
ビデオを住職に見せていた縁で、その藤本住職から「インディアンの方が来られ
るなら、ぜひ、お寺にお連れしてください」とのお誘いがあった。
それで、ぼくも彼らのディネ(ナバホ)の人たちと一緒に、初めて、このお寺と、
素晴らしい観音様と、そして観音様のような素敵な笑顔の女の住職にお会いした。
これが始まりだった。
そして1998年秋にデニス・バンクス氏の提唱するSACRED RUNがまた日本であ
って、この時は北は北海道アイヌモシリからアイヌの石井ポンペさんがリーダー
となり、また南は沖縄から喜納昌吉さんがリーダーで、それぞれインディアンや
日本人たちと一緒に鎌倉の由比ケ浜まで走ったことがあった。
当時、ぼくは愛知に住んでいたから、ほとんど赤穂にはいなかったが、この時、
沖縄からのランの途中、喜納昌吉さんのスタッフの友人から「赤穂を通るんだ
けど、まだ宿泊先が見つからない」と電話があった。
それで、普門寺さんなら!と思い、電話で住職に内容を伝えて、それで急遽お世
話してもらえることになった。
この時、1998年は平成10年で10月10日に、ゴールである鎌倉の由比ケ浜近くの
大仏の前で、「神戸からの祈り、鎌倉おひらき祭り」が行われた。これは岡野君
や鎌田先生、映画監督の大重潤一郎監督たちが中心となったお祭りで、世界から
何人かの先住民の人も参加して行われたものだった。
これにはデニス・バンクス氏も予定されていて、その縁でチーフ・クロードッグ
氏も参加した。
当初クロードッグ氏の予定は、関空から天河神社に入って観月祭に参加し、そし
てセレモニーを行う予定だったが、大幅に予定が狂い、それで「鎌倉おひらき祭
り」から始まって、最後は天河を訪れることになった。
しかし、「鎌倉おひらき祭り」には天河の柿坂宮司も来て祝詞をあげられて、ア
イヌの石井ポンペさん、喜納昌吉さんらも参加していて素晴らしい祈りの祭りと
なった。
そして由比ケ浜では北と南から走ってきたランナーたちといっしょに太平洋を挟
んだ人々が集い、共にドラムを打ち鳴らし、歌を歌い、素晴らしい祈りの時とな
った。
これは必然の流れだった、といま振り返って、そう思う。
さてさて、話はあちこち飛んでいくが(笑)、普門寺さんとも、そんなご縁が重
なって、赤穂に帰る度に顔を出すようになり、それで2000年には「広島原爆の残
り火」をこちらで保存していただく話になっていった。
この時も岡野君、ミナルちゃん来てくれて一緒に「火」を奉納した。
ここでも不思議なご縁がつながっていく。
広島から参加されていた女性に、今年の年末の20世紀最後の満月にこの「火」を
広島に戻したい、と、この火を持って歩いているバウさんの意向を伝えると、
「あら?同じ日に広島の平和公園でなにかそんな集いがあるわよ!」って言われ、
持っていたチラシを見せてもらった。
そこに’92年にアメリカで出会い、いっしょにカナダまでピースウォークしたアベ
ナキ・インディアンのトム・ドストゥがそれに向かって東京から歩く、とあった。
偶然? じゃ、ないな!と思った。
そしてこの年の秋には東京から広島に向かう「ヒロシマ2001 PEACE WALK」
で「火」が運ばれることになり、8年ぶりに再会したトム・ドストゥと共に東京
から歩くウォークの途中、一行で普門寺さんにもお世話になった。
以後、内田ボブさんやミナルさん、たくさんのミュージシャンやアーティストも
ここでコンサートや奉納の舞をさせていただいたりとご縁は続くのだが、2002年
秋、観音さまのお堂が新しく建てられたことをお祝いする落慶法要の時に、そん
な縁が一気に開いて土曜、日曜の2日間にわたり、麓を流れる千種川の河川敷に
て「観音おひらき祭り」を開催することになった。
岡部玄さんという岡山の造形アーティストの指導のもと、優に100人は入ると思
われる巨大な流木ドームを一週間がかりで建てて、そのなかに岡野君のインスタ
レーションアートである5音階を奏でる風鈴を何十個も吊るし、そしてステージ
を作って能や舞、ターラ・ダンス、そして天空オーケストラやバルナギータ、桑
名晴子さん、小嶋さちほさん、うんちゃか・・他、たくさんのミュージシャンが
集まって盛大にお祝いをした。
ぼくは地元ということもあって全体をまかされて、岡野君に音楽監督を助けても
らいながら、流木を組んだり、ティピを張ったり、虹色の旗で飾り付けたりと、
いろいろとやらせてもらった。
虹の旗を飾りながら、故郷に錦を飾る、というのはこういうことか! な〜んて
思いながら(笑)。
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さて、以来、普門寺さんでは岡野君のインディアンフルートのユニット、バンブ
ー・シダー・オークや内田ボブさんたち、バルナギータのコンサートなども開催
させてもらっているが、ここ5年余りは、「花祭り」の時に、同じくこの河川敷
で行われる採燈護摩をお手伝いさせてもらっている。
大採燈護摩供の会場に毎年ティピを張り、ここに集う「子供山伏」のちびっこた
ちや地元の人たちが珍しそうにティピを覗きこむときに、どうぞ、どうぞ!と入
ってもらったり、またここで最後に音楽を演奏してくれるミュージシャンの楽屋
代わりにも使ってもらったり。
マイクでも、「これはアメリカのインディアンの人がバッファローを追いながら
移動してた頃の住居ですが、かつてぼくらの先祖も、こんなかたちの竪穴式の家
に住んでいました。なかで火が焚けるようになっていますから、どうぞ中に入っ
て体験してみてください」と伝えている。
地球の家、アースロッジ、大地に暮らす、、、そんな想いが少しでも感じられ、
また思い出すといいな、と思いながら。
去年は小嶋さちほさんとダダチャイルドのロクローが来てくれたけど、午後から
本降りの雨が降ってティピのなかライブしてくれた。今年は風太郎がちょうどい
いツアーのタイミングで通りかかり歌ってくれた。また、GOCOOにいた山ちゃ
んこと7generations walkを主催する山田くんが来てくれて、久しぶりにいっしょ
にインディアン・ソングを歌う事もできた。また毎年カミオくんという朝霧天空
まつりでも絵を描いている若者がライブペイントも行ってくれる。
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今年はちょっとデッドが降りてきてたのかなあ〜?
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さて、ここに来て、採燈護摩を行ってくれるのは、播磨随一の修験の山、雪彦山
(せっぴこさん)で行をされている姫路龍王講の人たちだ。
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普門寺さんが天台宗なので、その関係の聖護院の系列の修験者さんたちと聞いて
いる。
もちろん吉野大峰にも時折行かれているそうだ。
山岳修験道は詳しくは知らないけど、やはり明治の廃仏毀釈の時はたいへんだっ
たと言う。
その頃に、神道系と仏教系にそれぞれ組織が分かれ、以来生き残りをかけて今に
至るとも聞く。
しかし、どんなに世の中が変わっても、こうやって未だ山を敬い、滝に打たれ、
自然を崇拝する「信仰」が残されていることは素晴らしいことだと、改めて最近
思うところだ。
’60年代以降ヒッピーの時代を経て、ぼくらの時代にも未だインディアンやアイヌ
などの先住の民の生き方や文化に学ぼう、という機運があった。それはもちろん
いまの環境が危機に瀕している、この時代にこそ増々重要で、彼らから大いに学
び、そしてぼくら自身の理解を深めなければならないのは言うまでもない。
でも、そんな時代の延長線上に、先住民的な信仰と通じる、はるか縄文にまでつ
ながるような、ぼくらの暮らすこのクニの自然と一体化すること、そして自然を
カミやホトケ、大いなる存在として敬う。そんな信仰がいまだ残されている山岳
修験の世界にも、また若い世代がもっともっと関心をもってもらいたいと願って
いる。
そして、できれば先達に続いて、山の中深く分け入って、行を通じて、その自然
と一体となる。
そんな体験を少しでもしてほしいし、できればぼくもしてみたい。
アウトドア系フェスが大流行りで、トレッキングやキャンプなんかも少しずつ定
着化してきた。そんないまの時代に、そこを突き抜けた新しい世代、そして意識
のひとつとして、母なるこのクニの山々をつなぐ修験道も、いい意味でブームに
なればいいなあ、と思うのだ。
さあ、そんな関心ある人たちにお知らせです!
今週末、今年で丸10年を迎えるアースデイ東京に、羽黒山伏大先達で「松聖
(まつひじり)」となられた星野尚文(ほしのしょうぶん)さんが来られてステ
ージの上でお話されるそうです。また富士講の先達も来られるとのこと。富士講
とは富士を開かれた藤原角行が始めた山岳信仰の、なかでも富士山を信仰するも
のです。
富士登山を予定してる人もこの機会に、ぜひ接してみてください!
天空オーケストラの岡野弘幹がステージ監督やって、ラストは天空オーケストラ
のライブで締めくくるそうです!
また隣の明治神宮の森では、昨年から、同じく仲間の河内アキオが中心となって
「アースデイいのちの森」が開かれて、こちらでも、たくさんのアーティストたち
のライブやトーク、ワークショップなどがあるそうです。
ここに立てられる「虹のティピ」では、羽黒の星野さんたちが、祈りのときを持
たれるとも聞いています。
久しぶりに「虹の祭り」やアースデイの初期のメンバーも集って、これはすごく
たのしみです!
みなさん、ぜひ!ご参加ください!!
さて、ボクは、と言えば、そんな仲間が集まるアースデイ東京に行きたいし、
ティピを張る誘いもあったのですが、同じ日程で瀬戸内の西の入り口あたりの、
山口県光市虹が浜で行われる「アースデイ瀬戸内」に今年も参加します。
2006年チェルノブイリ20年目の頃にボブさんたちとステージに立って、それ
以来アースデイ東京を離れ、翌年から始まったアースデイ瀬戸内の立ち上げ人
の一人として関わっています。
ほんとは一週間でもズレていれば、どっちも行くんだけどね〜。
でも、ここ祝島を眼前に望む、美しい虹が浜で開かれるアースデイ瀬戸内
サイコーですよ!
シーカヤック体験もできます!
こちらにもどんどん来てほしいです!
さあ、毎日がアースデイ!美しい緑の季節に地球を祝い、祭りましょう!
(追記:いつも長々とおつきあいしてくれてありがとう!話があっち行ったり
こっち飛んだりしますが、あえて記憶がまだ定かなうちに(笑)いろいろ記録
しておかなければ、との思いもあって、最近こんな感じで書いてます。
願わくば、G・デッドのライブのように、いいグル〜ブのロ〜ングトリップに
飛んで、そしてちゃんと(笑)還って来れますように!)

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縁の行者(2)

久しぶりにお会いした星野さんはヒゲも伸び、前にも増して風格を感じられた。
それもそのはず、羽黒山伏のなかでも「松聖(まつひじり)」と呼ばれる、2人
の選ばれた人だけが、それぞれ百日間の籠りの行を成し遂げる。その間、髪もヒ
ゲも伸びるにまかせるのだそうだ。
その「松聖(まつひじり)」となった星野さんは、以来そのままヒゲを伸ばして
あると聞いた。
月山・炎の祭りは、地元の若い世代が中心となり、あれから毎年続けられ、岡野
君もほぼ毎年のように関わってきたと聞く。
そして岡野君が昨年夏に、星野さんとのご縁で出羽三山での奉納演奏を行い、岡
野君から今度はぜひ、大峰吉野の天川にもと誘われて、それで若い男の山伏と女
の山伏を連れて、初めてここに来たということであった。
この若い男の山伏が、なんとSpectatorに、山伏の修行している記事を書いた本人
で、普段は東京でイラストレーターや映像作家をしている坂本大三郎くんだった。
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                 (坂本大三郎くん)
女の山伏は、最初の「月山・炎の祭り」にお手伝いで来ていて、2回目からはステ
ージのMCもやっている地元のアナウンサーの人だった。この縁で星野さんの山伏
修行を行うようになったらしい。羽黒修験もかつては女人禁制であったらしいが、
いまでは女性にも開かれているので、ここでは女の山伏がいると聞く。
でも、ここ吉野、大峰山では、いまだ女人禁制であるため女の山伏はいない。
加えて、その独特の市松柄と頭巾の姿で、2人とも一際目立っていたな!
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 (向こうから大峰山伏、熊野山伏、鎌田先生、羽黒山伏)
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そこに松聖姿の星野大先達。
この大胆さが縄文的、というかパワフルでダイナミックというか。
いや〜、なんか羽黒修験の格好は憧れるなあ〜。
初めて「月山・炎の祭り」で見かけたとき、ビッグマウンテンのサンダンスの直
後でもあったから余計だけど、その独特の祈り人姿にサンダンサーと通じるもの
を感じた。それは初めてアイヌや琉球以外の日本の信仰というものの中に、今も
息づく自然崇拝、自然信仰、そしてはるか古代からつながる、この列島の原初の
スピリットを感じたのかもしれない。
とにかく渡来系の文化が色濃く残る、いまの神道の人が着る衣装や、また仏教的
なものとも違う、その大胆な柄や色彩に、なぜかアイヌ文様や縄文文化の香りを
感じてしまった。
たぶん、そんな古来からのつながりや、蝦夷やエミシと呼ばれた古代東北の民族
的な感性が反映されているんだろうが、その感性を生んだのは西日本の照葉樹林
文化とは違う、春は新緑が萌え、夏には緑が輝き、秋には全山紅葉に燃え、冬は
全て世界が真っ白に覆われる、東日本、東北の落葉広葉樹林が織りなす自然のダ
イナミクス、そのサイケデリックな世界が影響しているのだろう。
また修験道は大和葛城に生まれた役行者(えんのぎょうじゃ)が、その祖とされ
るが、出羽三山では、それより少し前の時代の崇峻天皇の子の蜂子皇子(はちこ
のおうじ)を開山者として、役行者を中興としている。
なのでやはり民族的な系統もどこか違うような感じもする。
でも、ここで言いたいのは、だれが開祖だとか、系統がどうだとか、ということ
ではなく、今は同じ山岳修験道というスタイルに確立された、この信仰の本質的
なところ。それは山や自然は聖なるものであり、そこにはカミやホトケ、八百万
の神々のごとく多様な生命のエネルギーがあふれ、その霊地と一体化する中で、
ヒトの精神、霊性も進化し、その宇宙の真理に目覚める、ということ。
その真理に気づき、目覚めたものが役行者であり、蜂子皇子であり、行基であり
、最澄、空海であり、富士を開いた角行であり、白山を開いた泰澄であり、全国
に無数の仏を残した円空や木喰・・・等であったと思う。
それはかつて太古には名前も残さないシャーマンやメディスンマン的な人であっ
ただろうし、時代を経て、あるときは修験の行者であったり、仏教僧であったり
しただろう。
とにかく人が山を霊山、聖山にするのではなく、山の聖性、霊性に、人が感応し
、山の神聖さ、自然のスピリットに気づくことが修験道のはじまりだったのでは
ないか。
それはインディアンやアイヌをはじめ多くの先住民がいまも大地や海、地球を母
なる存在として信仰することであり、この国では天台密教の「草木国土悉皆成仏
(しつかいじょうぶつ)」という言葉で表現される思想であるし、エコという、ち
ょっとコマーシャルで軽薄な言葉に成り下がった感のあるエコロジーの、その本
来の意味である、「いのちはすべてつながっている」というディープ・エコロジ
ーの思想と相通ずるものだろう。
なので、この島々からなる列島各地の山々を信仰し、守ってきた山岳修験道は、
いま自然が破壊され環境の保護が叫ばれる時代においてもっと重要とされ、そし
てもっと注目されていくのではないか、と思うのだ。
とにかく、そんな東北の山々を信仰し、一体となって守ってきた羽黒修験者が、
役行者が修行され開かれた大峰、吉野の天川に参られるのは素晴らしいことだと
思った。
これは、もちろん岡野君の働き、ご縁に依るところが大きいが、きっと目に見え
ない感応の世界のなかでは、大峰と出羽の山々のスピリットが、また役行者や
蜂子皇子のスピリットが、大いに働いていることだろう。
天河大弁財天社は、大峰山、弥山の麓にあって琵琶山とよばれる聖地にお社は
建っている。ここには役行者が修行中降りてこられた女神さまを弁財天として
お祀りしたところでもあり、また太古から聖地として、今はこの神殿の建つ磐
座を祀ってこられたところだろう。空海も高野山を開く前にこの地にこもり修
行されたのだそうだ。神社の向かいにはそのゆかりのお寺がありその時代から
あるものなのか、見事な大銀杏の木が立っている。
初めて天河神社に来たのは、たしか1989年の秋だったか。この大銀杏の葉が見
事に金色に輝いていた。また、この夏に2百数十年ぶりに新しく社殿が建て直
された年だったと思うが、立派な檜造りの白木の神殿も一際輝いていたように
憶えている。
以来、節分の神事や、また何もないときにも気が向けばここに来ていた。
とにかく気がさーっと晴れるような、そして何かに包まれているような温かい
感じがいつもして、都会暮らしの身にはありがたかった。
そしてちょっとした不思議なシンクロもよく起こったな。
ぼくらはミュージシャンではないので、もちろん奉納演奏なんて出来ないけど、
以前タオスプエブロインディアンの村で買ったインディアンフルートのテープが
気に入って、それで、天河神社にずうずうしくも奉納したことがあった。
それから、しばらくぶりに訪れた時、夕方近くの温泉から民宿に向かって歩いて
いるときに、神社の境内にその聞き覚えのあるインディアンフルート曲が流れて
いた。
普段から、けっこうかけているのかと思って、翌日神社に訪ねると、掃除してい
て出てきたから、きのう初めてかけた、と言われた。
ちょうど初めてビッグマウンテンに行く直前だったから、なにか「いいサイン」
のような気がしてうれしかったな。
また、しばらくして行った時、偶然、宮司さんに呼び止められて家に招かれお茶
をいただいた。
その時にいろいろお話を聞いて、それでぼくらがインディアンのところに行って
いる、と言うと、「サンフランシスコにいる大和(やまと)を知っていますか?」
と訪ねられた。
大和さんは日本山妙法寺やインディアン運動とも縁の深いお坊さんだ、とかつて
サンフランシスコに住んでいて、大和さんの道場にもいた西尾の牧さんから聞い
てはいたが、まだ当時はお会いしたことはなかった。
それから8〜9年たって、ぼくらの通うビッグマウンテンのサンダンスチーフであ
り、地元サウスダコタのローズバッドに訪ねたときもお世話になった人であり、
またAIMの精神的指導者でもあるチーフ・クロードッグ氏と共に、’98年、お連れ
した大和さん、牧さん共々、ここ天河神社に来ることになろうとは、その頃は、
夢にも思わなかった。
おまけにチーフと宮司さんたちといっしょに温泉に入るなんてこともね!
その大和さんの墨書きした檜の柱が、天河神社の禊殿の横に立っている。
今回行ったら、近くには美しい立派な焼物の窯も出来ていた。
さて、そんな天河大弁財天社のこの節分の御神事は、先にも書いたが「鬼は
うち〜!福はうち〜!」と鬼を払うのではなく、鬼を迎え入れるところが素晴
らしい!といつも来るたび思うのだ。
ここで言う「鬼」とは何のことだろう? 
普通は厄や災わいを象徴するものだろうし、もっと言えば悪さを働く人物や魔
物みたいなものだとも言われてきた。
しかし「鬼」は桃太郎の話に語られるように、悪さをして退治させられる「異
形のものたち」とされているが、果たしてそうか?と、ちょっと疑問に思って
しまう。
昔、稲作文化を持ってきたような弥生系の人が、その水田に適した平地に住み
着くにつれ、しだいに山間や深い森、離れ小島に追いやられたような、弥生以
前から住んでいた人たち。それは縄文の血を色濃く残す人だっただろうし、狩
猟採集、または漁労で生きてきた人たちだっただろう。もちろん容貌も後から
来た人とは少し異なっていたと思われ、日本書紀や古事記などにも、山間部の
穴(竪穴住居?)に住む「土蜘蛛」などと、まるで人間ではないような記述で
残っている。
また信州では隠れた魂と書いて、隠魂(おに)と呼ぶ地方もある。この吉野で
も役行者に従う、民の名前が「前鬼(ぜんき)」」「後鬼(こうき)」である。
たぶん、歴史においては支配者側から「鬼」や「蜘蛛」とされてきたのは、た
ぶんに列島それぞれの地に早くから住む先住の人々だったのでは、と思ってし
まうのだ。
そんな支配者側の名残りとして「鬼はそと〜!福はうち〜!」のかけ声にも残っ
ているんじゃなかろうか?
しかし、ここ天河神社や吉野では「鬼はうち〜!福はうち〜!」と呼ぶ。
それは一体なんでだろう?
そんな天河の柿坂宮司さんのご先祖は、役行者についた「前鬼」だったと聞く。
だからなのか、前日の鬼の宿の神事でも、鬼を一晩招いて一緒に添い寝をする、
という。翌日、鬼が来た証拠に、玄関上がり口に張ったタライの水に鬼の足の汚
れである土が残っているかどうか確かめるのだと。それで、もし鬼が来た証拠が
なければ翌3日の節分神事は中止になるのだそう!
それでも、かかさず毎年やられているところを見ると、なんか、すごいなあ〜!
と思ってしまう。
また、節分に限らず、この天河大弁財天社の御神事の祝詞と共に、いつも般若心
経がたくさん唱えられている。
言うまでもなく、ここは神社で、お経が、まるでメインのチャントのように、何
度も何度も上げられるのである。
これもすごくいいなあ、と思う。
これは明治以前の神仏混淆の名残が残っているからだとは思うのだが、それでも
山岳修験という、本来、仏教とも神道とも少し異なる日本独自の信仰の形が、そ
の山の聖性を感じ、そしてそこに神を見て、またあるときは仏を見たように、本
来もっと自由でダイナミックな世界観があったのだろう。神様や如来や菩薩とさ
れる名前や宗教的なキャラクターは後からついてきたものであった、と思う。
神も仏もその名や姿を時に応じていくらでも変化させることができる。
それが神であり仏である所以だ。
なんて、大いなる神秘の存在を感じた古のホーリーマンたちはそう思ったのだろ
う。
そんな風に、神も仏も一体であり、共にその存在を称える形こそが、ぼくらには
しっくりくる感じだと思うし、やっぱり、すごくいいな、と実感するのである。
先住民を鬼として分け隔て、神様や仏さまにもランクをつけて、いのちの連なり
、つながりを断ち切ってきた。
その上、明治になってから、西洋に合わせるためだかなんだか知らないけれど、
神と仏を無理矢理分けて、そしてまた八百万の神々のなかにもランクをつけて、
本来、宇宙はマンダラであるものが、ピラミッド型の社会に無理やり変えてしま
った。
このことが大きな問題として、いまもいろんなところで尾を引いているんじゃな
いかなあ?
そんななか、ここ天河さんのお祭りは、全てが渾然となって、それでいて、みん
な祝福されているような感じがする。
だからいい感じである。
分け、隔てるんじゃなく、結び、開いてくれる、そんな感じ。
柿坂宮司さんのお人柄もあり、今回の大護摩供に集った、星野さん以下、羽黒
修験の若い男女山伏やいつも修養されている大峰修験の方々や熊野修験の先達
も一同そこにいた。
聖なる火のまわりにね。
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(右から星野さん、柿坂宮司、熊野修験の方、大峰修験の方々)
そしていまは京都大学の教授になられた鎌田先生も、毎年学生を連れて来られ
ている。
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        (縄文野焼き神事にて、笛を奉納する鎌田東二先生)
岡野君も毎年毎年すごいなあ、と思う。
寒い中、手も凍り、息も凍りながら奉納の演奏を続けている。
きっと音楽の女神である弁財天も喜ばれているだろう。
縁は連なりながら、そしてまた次につながっていくだろう。
季節の節目に、いいご縁を、ありがとう!
みんな「縁の行者」ですね(笑)!
(続く)
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             (リハーサル中の岡野弘幹)

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縁の行者(1)

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2月初めの節分に奈良県の奥吉野の天川村にある天河弁財天社に行った。
毎年この節分の御神事で、友人でもある天空オーケストラの岡野弘幹がこちらの
神社の立派な能舞台で奉納演奏をしていて、今年でもう5回目となる。
その最初の年と3回目の時もいっしょに立ち会わせてもらったのだが、今年も
その縁で行かせてもらった。
2月2日の晩、天河神社独特の節分神事「鬼の宿」に参加させていただき、一泊
して翌3日の朝の神事から、これまた天川、吉野のこの地方独特と思われる
「鬼はうち〜!福はうち〜!」のかけ声での豆まき。そして採燈大護摩と、今回
もありがたい季節の節目を、ここ天河神社でいただくことができた。
しかし、3日の夜に行われる岡野君の奉納演奏は今回は参加できなかった。
それでも行かせてもらったのは、今回ここに来られると聞いたある人に再会した
い、と思ったことがきっかけだった。
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年明けて、買ったばかりのSpectatorという雑誌をパラパラ見てたとき、山形にて
山岳修験道、山伏の修行している若者の記事が目に留まった。
その中で彼が師事しているのが、羽黒修験の大先達で、大聖坊(だいしょうぼう)
を営む星野さんだった。
星野さんとは11年前の1999年のお盆に月山で初めてお会いして、いろいろとお世
話になった人である。
その星野さんが、今回、天河神社に初めて来られると岡野君から聞いた。
羽黒山伏大先達の修験者が大峰修験のメッカに来られる。
修験道についてはことさら詳しくないが、これは何かスゴいことだと予感した。
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星野さんと出会うキッカケになったのは、この前の年1998年の11月にさかのぼる。
東京の代々木公園であった、2回目のレインボー・パレードの時、たぶんぼくら
はビッグマウンテン支援のブースとしてティピを2張りたてて出してた頃だったか、
初日の夜に仲間の河内アキオと一緒にタツロウさんの家にご飯食べに行った。
ここに天空オーケストラの岡野くんも来ていて、ご飯食べながらみんなで自然と
いろんな話がつながっていった。
タツロウさんは当時、岡野君のCDのレーベルとか和太鼓グループgocooに関わっ
ていた、ぼくらより一世代上の人で、’88の”いのちの祭り”の実行委員の中心の一
人でもあった。
それでタツロウさんから、’88’のまつりの時もそうだったけれど、’77年にもミルキ
ーウェイ・キャラバンという、別名”生存の行進”というのが起きて、振り返ると、
これも時代の節目の大事な出来事だったと思う。そんな風に10年毎にムーブメント
というか、その後を方向付ける大事なことが起きてきた。だから来年の’99年にも
何か起きるんじゃないかと、期待するんだけどね〜。
そんな話の中から、来年の’99年、2000年代への一年前(21世紀は2001年からだ
けど)のこの年に何が起こるか、また何が出来るか、いや!何かやりたいね!っ
て話になっていった。そうして誰彼ともなく、キュウジュウキュウネン、キュウキ
ュウ、クク!そうだククリ(括り)の年でもあるから、いままでの100年、いや
1000年規模の総括、括りの年にしよう!と話は多いに盛り上がっていった。
いままで永い間、この母なる地球に対しておれたち人間が行ってきた数々の行い
の、その結果、こんなに無惨な姿にさせてしまったことを、先ずはあやまろう!
世紀が明ける前に、今世紀中に、ごめんなさい!をしようよ!と。
そしたら、みんなが、そうだ!そうだ!それがいい!
先ずはしっかり、あやまろう!
男として女に、子どもとして親に、親として子どもに、日本人として近隣アジア
に、人間として他の生き物に、そしてマザーアースに、心からあやまろう!
そこをちゃんとやってから次の世紀を迎えたい、というか、そこをちゃんとしな
いと次の世紀が迎えられないんじゃないか、という危機感も感じながら、それで
’99年の一年間を各地で「地球にごめんな祭(さい)」をおこなおう!ということ
に全員一致で決まったのだった。
そして早速、翌日のレインボー・パレードにて、ステージのトリを飾った天空オ
ーケストラと一緒にぼくらもインディアン・ドラムを打ちながら「レインボー・
ウォーリアーズ」の歌を歌い、そして岡野弘幹が集まったたくさんの人たちに、
そのビジョンを呼びかけた。
「いままで永い間、この母なる地球に対しておれたち人間が行ってきた数々の行
いの、その結果、こんなに無惨な姿にさせてしまったことを、先ずはあやまろう!
世紀が明ける前に、今世紀中に、地球に、いのちにごめんなさい!をしようよ!」
その瞬間、大歓声!巻き起こるのなか、「地球にごめんな祭」がはじまった。
個人の想いが、ただ単に個人的なビジョンに終わる事なく、多くの人に響き合い、
グローバルなビジョンになる、という場面を感じた瞬間でもあった。
その後、鎌田東二さんやTBSの西田さん、谷崎テトラたちも加わってミーティング
があり、そして鎌田先生から’99年、謝罪として「地球にごめんな祭」を行ったら、
翌2000年からは世界から先住民や人々を集めて祝福の「おかえりな祭(さい)」
をやって、そして21世紀を迎えて、今度は「旅立ちな祭(さい)」を行おう!と
大きな提案がなされた。
そして、この一連の祭りを「虹の祭(まつり)」として全国各地で行おう!と
ビジョンは増々大きく膨らんでいった。
’99年明けて2月、先ずは大阪浄土宗のお寺、應典院にてアメリカ・インディアン・
ムーブメントの指導者デニス・バンクス氏を迎えて「虹の祭」はスタートし、4月
に千葉、5月に横浜の郊外「子どもの国」にて「アースデイ虹の祭ギャザリング」
を開催。ここにもまたまたデニス(バンクス)も駆けつけてラストのエンディング
は世界各地の多様なドラムがたくさん集まって大地を響かせ、天に届けた。
そして8月5、7、8日の3日間、奈良の東大寺と春日の園地にて「虹の祭〜地球に
ごめんな祭~NARA CARNIVAL」が開かれる。いにしえの奈良の都にティピを
3張りたてて、この時はメキシコの先住民ウィーチョルの人たちがやってきてく
れ祈ってくれた。この時「虹の祭」のポスターを伊藤清泉さんが描いてくれたん
だが、祭りの終わりに春日の大社神前にて、奉納がおごそかに終わった時、空を
見上げると太陽の周りに丸く虹(日輪)がかかっていた。その時、世界遺産でも
ある鎮守の森の原生林から一羽の鷹が飛び出して、ちょうどポスターに描かれた
ままの世界がそのまま顕現したのはびっくりした!
そして虹の祭りは続き、お盆には山形県鶴岡の月山にて虹の祭の一環として
「霊舞(レイブ)オン月山・炎の祭り」につながっていった。
これは、’95年神戸の震災ボランテイアの神戸元気村の副代表で、当時ぼくも岡野
君もその縁で知り合った草島進一(通称スターン)が、郷里の鶴岡に帰り月山ダ
ム中止を訴え市議に見事トップ当選した。そんな流れで起きた祭りだが、月山と
いう古来、東北の霊山を祀る必然の神事となっていった。
ここ月山は出羽三山の一つとして古くから山岳修験の聖地として崇められてきた
山だ。
たぶん山岳修験が起こる以前のはるか縄文の昔から、この山はこの地に暮らす
人々の、月に象徴される、水の恵みもたらす聖なる山だったと想像する。
そして修験道以降、三聖山である、羽黒山、月山、湯殿山のなかでも一際高い
山である月山は、この地に暮らした先祖の霊が帰り住む山とされてきた。
ぼくはちょうど毎年通うビッグマウンテンのサンダンスから帰ってきたばかりだ
ったから、この聖山がナバホの四聖山のひとつで、同じくホピのカチーナ(精霊)
が住むとされるサンフランシスコ・ピークスと同じだなあ、と理解した。
かつて、この辺りでは、祖霊が里の家々に帰るお盆の時に月山頂上から火を降ろ
してきて各家々に配り、お盆の迎え火としていたのだそうだ。
この火降ろしの御神事をもう一度、そのスピリットとともに復活させようと、始
めたのが「月山・炎の祭り」だった。
この伝統神事を指導し、取り仕切ってくれたのが、ここ羽黒修験の大先達の星野
さんと山伏の方々だったのである。
夏とはいえ2000m近い月山の頂上から火を降ろし、麓の祭り会場にて火を灯すと
ころから祭りはスタートするのだが、あいにくの雨風吹き荒れる天気の中、いっ
こうに火はつく気配も起きなかった。そのくらい大雨だった。そして、みな少し
ずつあきらめの気分が蔓延しだす中、なぜか祈りが試されている、と、そう思っ
たのだ。
この年のビッグマウンテンでのサンダンスの時も火をつけるところから儀式がは
じまる時に、直前のスコールかなにかのせいで、いっこうに火がつかなかったこ
とがあった。この時、チーフであるノーマンが自ら祈りの歌を歌い始め、それに
続いてみなが歌を合わせ、意識を合わせ、祈りを合わせた。
するとどうだ!ちゃんと火は起きて、しっかりと燃え始めたではないか!
そのことを思い出し、夜の大嵐の中、ぼく自身の祈りとしてサンダンスの歌を歌
い、それに何人かのサンダンスの縁あるものが歌を合わせ、火が無事に燃え盛る
事をひたすら祈った。
さあ、やっぱりこころは届いたのだろう!
この雨の中、火はようやく「祭り火」としてしっかりと灯ってくれた。
そんな流れで、ぼくは祭りのあいだ火をお世話する役目をさせてもらった。
この期間中も、準備のとき含めて毎日、あらゆる虹を見る事ができた。
一回は夕日に照らされて東に大きな虹がかかったのだが、その夕日の方角にまた
小さな点のような虹も出ていた。
この時も鷹が飛んだ。
忘れられない光景だ!
そして祭りの最後に火をまた月山に還す送り火の時に、空を見上げると太陽の周
りに、まあるく虹の日輪がかかっていた。
祭りが終わり、最後に月山にお礼を捧げにみなで登った。
もちろん八合目あたりからだけど、万年雪があり、途中霧もでて、行ったことな
いけど、月?とか幽玄界?のようだなあ、と思った。
遅い午後の登山、それにしてもTシャツ、短パン、ビーサンで行ったのはヤバかっ
たけどね(無知もいいとこ、、真似したらダメです!)!
その夜だったか、直会(なおらい)で星野さんの営む山伏さんたちの宿坊、大聖
坊(だいしょうぼう)で精進料理をいただき、名物の二升はたっぷり入る大さか
ずきでお酒を飲んで、もちろん知らぬ間に撃沈した。
今回、天川では、その時以来10年半ぶりの星野さんとの再会だった。
(続く)

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〜春風めぐる〜 内田ボブ&ナーガ(長沢哲夫) 詩と歌の夕べ

harukaze-thumb-300x427.jpeg
南太平洋ミクロネシアへの旅を終えたばかりの内田ボブが、詩人ナーガ(長沢哲
夫)と共に春風に乗って、また今年も日本列島ヤポネシアをめぐります。
環太平洋、アジア、非核、非戦・・・、
メッセージも新たに、伝説のボブさん、再び!
NO NUKES , ONE LOVE !ヤポネシア!
ALL OUR RELATIONS !
ハル・スロータートル
*春風めぐる2010ツアー(4/9〜4/25)
http://amanakuni.net/bob/live2010.html
_____________________________________
4月14日☆〜春風めぐる〜 内田ボブ&ナーガ(長沢哲夫) 詩と歌の夕べ 
2007年に、ハワイから星と波と風だけで日本にやってきた伝統航海カヌー、ホク
レア号が、祝島の伝統儀式・神舞の船で迎えられた模様を紹介する「祝星・ホク
レア号、祝島へ」の上映も行います!
LOTUSROOTS Solar LIVE Vol. 16
An Evening of
POETRY & MUSIC
“ つま先だちで風の花びらを歩く
  風と暮らそう
  土と暮らそう
  海と暮らそう
  輪になって
  小さな輪になって
  地球の輪になって ”
〜春風めぐる〜
内田ボブ&ナーガ(長沢哲夫) 詩と歌の夕べ
今年もやります! 
はるか南西諸島、トカラ列島諏訪之瀬島に暮らす詩人ナーガと、先頃ミクロネシ
アへの旅を終えたばかりの、おなじみ南アルプス大鹿村の内田ボブの〜春風めぐ
る〜ジョイント・ライブ。詩と歌と音楽が織りなす春の夕べ。さあ、今年はどんな
次元の扉が開くやら!?
内田ボブ&ナーガ(長沢哲夫) 詩と歌のライブ@LOTUSROOTS
日時:2010年4月14日(水) 19:30 OPEN, 20:00 START
料金:予約2500円 当日3000円 (with 1drink)
http://www.lotusroots.org/
お問い合わせ・ご予約は、ロータスルーツまで。 
 電話06ー6131ー1553 または info@lotusroots.org ※月・火定休日
★プロフィール★
ナーガ(長沢哲夫):
詩人。’60年代、新宿ビートニクス「バム・アカデミー」、コミューン運動「部族」
の中心人物として、ゲーリー・スナイダー、ナナオサカキ、山尾三省らと出会う。
その後、諏訪之瀬島にコミューンを作り、定住。
以後、トビウオ漁師、百姓、詩人として生活し現在に至る。詩集「つまづく地球」
「一秒の死を歩く」「そして潮が引き」「水をつなぐ」他。 http://members.jcom.home.ne.jp/splashwords/top.htm

内田ボブ:
百姓シンガー。15で家を出て転々・・。「部族」に出会い、コミューンを転々・・。
西表島にて水牛百姓10年。現在は南アルプス大鹿村にて畑を耕し、脱核文明を祈り、
時折里に下りては歌い歩く。
バルナギータとしてナーガの詩に曲をつけたCD「つなぎあわされた虹の輪を」他、
ソロCD「Rolling Dragon」「泥あしのままで」「ヤポネシア・フリーウェイ」
「いのちの道の上」など。
http://amanakuni.net/bob/top.html
*************************************
地球が帰ってくる (by 長沢哲夫)
ぼくの中に地球が帰ってくる
ぼくは闇の中で青い太陽を見る
顔にきざまれた海が笑う
家々のねじまげられた朝をすりぬけ
失われた鳥たちが歌っている
ぼくはこのつかの間を愛する
自分自身の闇の 氷りついた朝の 足音のない街々の
めらめらと歌う春のこのつかの間を
めらめらと歌う花たちがぼくの心に咲いている
鯨たちが笑う塩の朝
ぐしゃぐしゃと月が上がり
ぼくの中に地球が帰ってくる
_________________________________
大地に還ろう!
今から40年余りも前の1960年代後半、日本で「部族」というムーブメントが始ま
ったのを知っていますか?
いろんな定義はあるだろうけれど、工業・機械化、あるいは中央集権化された社
会や人間関係の中でふと立ち止まり、本来、縄文人をはじめアメリカ・インディ
アンや全ての先住民たちが生きていたであろう、大地の力、自然や天の恵みを感
じ感謝する生き方を取り戻そう!と、熱い思いをもった若者達が、現代社会を離
れ、各地の山や海辺に移住し、共同体(コミューン)を築いていったムーブメント
です。
この中で、ひときわ個性的なメッセージを発信していたのがナーガ、また
LOTUSROOTSの本棚でおなじみの山尾三省、ナナオサカキ、当時日本に住んで
いたゲイリー・スナイダー、そして内田ボブたち。まだ「エコ」や「ロハス」なん
て言葉のない頃から、日本各地の山や島に入って、畑で野菜を、田で米を育て、
山で薪を、海で魚を捕り、子供達に鳥や虫や魚や動物たちと調和に生きる視点を
教えながら、そんな「もう一つの暮らし」を実践してきた人たちは、今や有機農
業やフリースクール、DIYな大工さんや自然派アーティスト、そして何より未来を
見据えた生き方の先駆者として、21世紀の今、大いに注目されています。
そんなナーガがつむぐポエトリーの数々、それを歌う内田ボブ。彼らは同時に、
今の社会をするどい視点から見つめ、今だからこそ必要なこと、未来のための指
針となるメッセージを、優しくまたストレートに伝えてくれます。
社会がどう変わろうと、混乱しようと、大切なものを見失わずに、足をしっかり
と地につけて、いのちの道の上を歩んでいくこと… 彼らのポエトリーや歌がそ
の手がかりになるかもしれません。
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昨年に続いて、今年も〜春風めぐる〜2010ツアーTシャツ(笑)つくりました!
デザインはフライヤーも作ってくれた友達のWOOKIEで、それをボクが少し
ヤポネシアン・カヌーにアレンジしました!
ツアー会場で見かけましたら、ぜひ!どうぞ!!