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Hungry boysからのメッセージ!

—下、1/28発、5人のhungry boysからのメッセージを転載—
日本全国のあなたへ
19歳、20歳の僕達5人は、
上関原発予定地の
工事一時停止と、
埋め立て工事再検討を求めて、
只今山口県庁前で、
ご飯を一切食べない
ハンガーストライキをしています。
皆さんのお陰で一週間、
無事に意思表示
出来ています。
全国から
沢山の応援メッセージや
カイロや衣服。
凄く力になります。
ありがとうございます!!
そして当初、
マスコミには10日程
ハンガーストライキを続けると答えました。
もちろん
僕達の中で必要ならば、
10日以上ハンストを続けるという話にはなっています。
大丈夫だと言いつつも、
僕達のアクションは
確実に命を
削っています。
こうまでして
メッセージを送っている山口県知事。
だけじゃなく、
やっぱり日本に住む
「電気をつかう」
全国のあなた達への
メッセージなんです。
これからの日本を
つくっていく
僕達の世代や、
これから産まれてくる
次の世代へ本当に
大切な事を伝えたい。
大切な海を
埋め立てる事、
僕達を生かして
くれている地球が、
助けを求めている
ように感じてます。
じゃあ僕達に
何が出来るだろう??
国の方針を
変えること??
国とは僕達1人1人なんじゃないの??
全て任せて
見て見ぬ振りで良いの??
今からで良いので
一緒に考えませんか??
まずは
電気の事、
原子力発電所の事、
原発を造る際に分断する
賛成と反対の対立。
その争いによって
出来た発電所の電気の
ほとんどが、
大阪や東京等の
都市部に送られる事。
発電にあたって出る
核のゴミ(死の灰やプルトニウム)
の処理方法がいまだ
確立されていない事。
原子力発電所の
寿命は約40年程、
その解体も
確立されていない。
そしてなにより
広島・長崎原爆のように、
放射能が出るという事。
先ずはあなた自身で
調べ感じて下さい。
そしてその事を
自分自身の中で解釈し、
知識にして下さい。
それが僕達の
お願いです。
一緒に考えよう。
本当にお願いします。
hungry boysより
愛を込めて
元一級配管技能士
平井憲夫さんの著書。
http://blog.7gwalk.org/?eid=1261937
僕達のブログ
http://blog.goo.ne.jp/newgenerations

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ウーンデッド・ニー

全く偶然だけど、1が5つ並ぶ2011年1月11日に日本山妙法寺ニューヨーク・グラフ
トン道場の安田純庵主さん達一行がアメリカからやってきた。
純さんとお会いするのは昨年1月17日の阪神淡路大震災の日以来で、その時のこと
純さんとのご縁や日本山妙法寺のこと含めて以前書いた。
純さんから指定された奈良の天理駅まで車で出向き、しばらく待っていたら例の黄
色い袈裟を着た純さんたちが出てきた。一行はニューヨーク在住の日本人通訳の女
性と、ウーンデッド・ニーという名前のカリフォルニアのミウォーク族インディア
ンの男性とその奥さん、若いアメリカ人の女性と、まだ16才でフリースクールに通
う青年。そして1992年のアメリカ大陸横断ウォークで知り合った、女性カメラマン
、ルイーズもそこにいて、久しぶりの再会を喜びあった。ルイーズはいまはもう70
代になったらしいが、背が高く、はつらつとして、そして優しい印象は全然変わっ
ていなかった。
ルイーズもウーンデッド・ニー夫妻もサンフランシスコ周辺に住んでおり、ぼくら
が帰国した同じ日に偶然サンフランシスコ空港から出発したそうだ。サンフランシ
スコにいたなら何故うちに来ない?!と2人とも真顔で言ってくれたけど、ルイー
ズとは久しぶりだし、ベイエリアに住んでることなんて全然知らなかったし、ウー
ンデッド・ニーに至っては初対面じゃん!
そうツッこむと(笑)、彼らも真顔で納得したけどね。でも本気でこう言ってくれ
るところがこういうピースムーブメントに永年関わってる人たちのいいところだ!
ぼくもアメリカ放浪中はこんな人たちの親切にずいぶん助けられたなあ、って違う
意味で納得して、たぶん空港ですれ違ったよ、とお互い笑った。
そうこうするうちに、もう一台京都から、だいぶ以前純さんのお寺やインディアン
のウォークで一緒だった綾ちゃんがパートナーと友達連れてやってきた。この2台
に分乗して向かうは桃尾の滝だ。
今回の純さん達の来日は、純さんのお師匠さまであり、日本山妙法寺を創設された
藤井日達上人の27回忌の法要に参加するためだ。
当初、日本山妙法寺とも縁が深く藤井日達上人を敬愛するアメリカン・インディア
ン・ムーブメント(A.I.M)の指導者デニス・バンクス氏を招待する予定だったが、
デニスが来れないため、彼の右腕のようなウーンデッド・ニー氏が来ることになっ
たそうだ。
その27回忌の法要の場所は千葉の清澄。今回純さんはウーンデッド・ニー氏をアイ
ヌの人たちに会わせたいと思ったけれど、北海道まで行く時間がとてもとれないと
あきらめた。すると、なんとその場所から15分のところに住んでいるアイヌのエカ
シ(長老)が娘さん2人を連れて来てくれたのだと。
この人は浦川治造(はるぞう)さんという関東に住むアイヌの人たちににとても尊
敬されている人だ。
ぼくらも2000年の東京から広島、長崎まで原爆の残り火を運んだピースウォークの
時や2004年の富士山麓でのWorld Peace & Prayer Dayのセレモニーで大変お世話
になった人でもある。治造エカシは2000年のウォークで一緒に歩いたアベナキ・イ
ンディアンのトム・ドストゥとも以前より懇意で、そのきっかけになったのが1992
年のカナダ・イヌー族居留地まで歩いたウォークで、純さんの発願だったからおも
しろい。
今回も正式なカムイノミの儀式で一行をもてなしてくれたと、純さんもご縁の不思
議に感謝していた。
そして法要の後、広島、長崎に向かう途中、関西に立ち寄ったという次第。
この向かう桃尾の滝は、古来から聖地、修行の場とされたところで、一帯には古い
石仏や修験道の梵字が刻まれた石塔を見ることができる。そして純さん達にはここ
が日本山妙法寺の大事なはじまりとされる場所でもある。
日露戦争の頃らしいが、法華経はじめ禅や唯識など、仏教の根本の八宗を学ばれた
藤井日達上人はお釈迦様が悟られたのと同じ33才の時、自からの行く末を決めるた
めに、この桃尾の滝で一週間籠もって不眠不休断食滝行の修行をされたそうだ。
それは文字通り命をかけて自分の使命、天命を授かるために行う、受戒の行という
らしい。昔この話を聞いたとき、インディアンの世界では、自分のこの世での使命、
生き方を自然界のスピリットに問うために人里離れた聖なる場所で数日の間、不眠
断食して籠もるビジョン・クエストとよばれる儀式があり、それといっしょだなあ、
と思ったものだ。
その7日間の行が明ける最後の日に、一人の男が下の方から団扇太鼓を叩きながら
歩いてきたそうだ。その男は背中に赤子を背負っていて、それで不思議に思った日
達上人はその人に、「その赤子は誰ですか?」と尋ねると、「お釈迦様」と。
続けて「あなたは誰ですか?」と問うたところ、「上行菩薩」と名乗り、そのまま
その山道を上の方に歩いていった。
それは夢とも現実ともつかない感じであったけれど、その出来事は法華経に書かれ
てあることに符合する啓示である、と日達上人はそこで全てを理解したのだと。
それで、自分の使命は、日本で寺をつくって安住しながら仏教を広めるのではなく、
自らも背中にお釈迦様を背負い、団扇太鼓を打ちながら世界を歩く行者となり、教
えを広めることだと。そうして満州にわたり、そこで日本山妙法寺と名乗り、イン
ドに渡りガンジーと出会い、当時永年インドでは廃れていた仏教を再びインドに広
める礎を築いた。
そして彼の地でいただいた仏舎利をアショカ王の故事に倣って世界中に仏舎利塔を
建ててその地の平和の礎とする。日本山妙法寺の仏教は、宗派を超えて世界平和を
求める世界中の平和運動や先住民運動につながり、いまも各地の最前線で、人々の
非暴力直接行動のその精神的な支えともなっている。
そのはじまりとなったのが、ここ桃尾の滝と言うわけだ。
なので純さんは是非ともウーンデッド・ニーたち一行をここに連れてきたかったん
だろう。
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その日達上人が修行された場所で皆一人一人滝に祈りを捧げた。
そしてサークルをつくり、ウーンデッド・ニーが持参したセージに火をつけ、一人
一人ワシの羽根で清め、一人一人を祝福し祈ってくれた。
「さきほど滝の前で祈ったとき、スピリットが来た。ここはとても聖なる場所だ。
それぞれの民族にとって聖なる場所は、人々が大切に護っていかなければならない。
この水は河を下って海に至り、また天に昇って還ってくる。水はとても聖なるもの。
だれも水が無いと生きることはできない。聖なる水に感謝し、水に祈りを捧げよう。」
この山の頂上には日本山妙法寺桃尾道場があり、佐々木上人というお坊さんと年配
の庵主さんが、永年ご修行されて石造りの仏舎利塔も建てられている。そのお上人
と庵主さんも熱いお茶とお菓子をもって来てくれたので、佐々木上人からあらため
てここのご縁とそのエピソードを聞くことが出来た。
ウーンデッド・ニーはそれに応えるかたちで話を始めたんだが、先ほど滝の前で片
手を天に上げて祈ったとき、地面からスピリットが現れ、身体の中を突き抜けてい
ったのを感じた。そしてそのスピリットは日達上人だ!と言う。またここは自分た
ちが護っている聖地と同じ特別な感じを受けた、とも言った。
佐々木上人たちが喜ばれたのは言うまでもない! 
ウーンデッド・ニー氏はたしか68才と聞いたけど、印象はもっと若々しい人だった。
けれどもその年齢の人ならではの活動の履歴で、インディアンたちの権利回復運動の
「レッド・パワー・ムーブメント」や、そしてA.I.M「アメリカン・インディアン・
ムーブメント」に永年関わってきた人だった。
アメリカの歴史に刻む、’69年から’71年までサンフランシスコ湾に浮かぶアルカト
ラズ島をインディアン達が占拠
した時や、’72年のサウス・ダコタのパインリッジ
居留地で1890年に女性子供含む約200人のスー族が虐殺された場所として有名な
ウーンデッド・ニー占拠の時など、大いに支援し活動したと言う。
因みにその頃のウーンデッド・ニー支援の熱心さから、周りが自然と彼のことをウ
ーンデッド・ニーと呼ぶようになったそうだ。
ウーンデッド・ニーという名前は一般にスー族と呼ばれるラコタ、ナコタ、ダコタ
の人たちのみならず、全てのインディアンの人たちには特別な意味をもつ。ぼくも
何度か訪れたことがある
けど、1890年の虐殺でアメリカの対インディアン戦争が
終わったとされる場所でもあり、いまでも当時のチーフ・ビッグフットが殺され凍
りついた遺体の写真を絵はがき等で見ることが出来る。
ここは彼らインディアンの人々にとって、忘れられない、また忘れてはいけない象徴
、そして聖地となっている。
かつてサンダンスの時チーフ・クロウドッグはこう語り、日本から来たものとして衝
撃を受けたことがある。
「リメンバー、ウーンデッド・ニー! リメンバー、ヒロシマ!」
そう、日本人にとってのヒロシマとおなじなのだ。
クロウドッグは’72年のウーンデッド・ニー占拠の時、精神的指導者として銃撃戦の最
中、ただ一人、銃ではなく聖なるパイプを持って、人々を支え、導いた。その時永ら
く絶えていたゴーストダンスを占拠中のウーンデッド・ニーで復活した人でもある。
そんなウーンデッド・ニーという名を名乗り活動を続ける彼の、その覚悟は相当の
ものがあるのだろう。
彼はまた’78年インディアン達が大挙してアメリカ大陸を横断したThe Longest Walk
に全行程参加して、その時に同じく歩かれている純庵主さんや当時は日橋上人だった
ニッパチさんに出会っている。
特にニッパチさんにはしょっちゅうマッサージなんかもしてもらったらしく、とて
も親しくなったのだと。
「ニッパチはどうしてる?元気か?」と聞くから「お坊さんを辞めた後は、ビッグ
マウンテンに通い、いつもサポートを続けていた。そして最後はそこでサンダンサ
ーになった。地元のディネ(ナバホ)の人たちから愛され、サンダンサー・ニッパ
シを皆喜んだ。でも末期ガンが判って、それでも最後までサンダンスを踊り通した
けれど、その年の暮れに亡くなった。直前チーフ・クロウドッグも来て彼の病気を
癒す儀式をやってくれたが、だめだった。
それは’98年暮れのことで、この前11月の終わりに13回忌があって、スウェットも
して、たくさんの仲間が集まったよ」と伝えた。すると「そうか、ニッパチは死ん
だか・・。クロウドッグも来たのか。ニッパチはビッグマウンテンでサンダンサー
になったか。」と言った。
ウーンデッド・ニーはいまはカリフォルニアの自分たちの聖地を護り、そして彼ら
インディアンの部族の権利を守る活動SSP&RIT(Sacred Sites Protection and Rights
of Indigenous Tribes)を続けている。
また先祖の聖地でもある貝塚を発掘し遺品や遺骨を大学に高額で売って、その跡地
を公園にしようとする計画に抗議してShellmound Peace Walkというピースウォー
クも永年続けている、と言う。純さんももう何度も歩かれているらしい。
そして2008年にあったロンゲスト・ウォーク30周年のウォーク、The Longest
Walk Ⅱにも参加して、このとき、今は日本中を祈りと共に歩き続けている若き天
台宗のお坊さんで、デニス・バンクス氏とも親しい7Generations Walkの山田俊尚
くんとも親しくなったという。そして、またこの2月から始まるThe Longest Walk
Ⅲにも山ちゃん共々参加するらしい。
もちろん、そんな彼に祝島、上関原発予定地の現状を伝えたのは言うまでもない。
彼は即座に状況を理解して、原子力のその元となるウランの採掘はインディアン
の大地をはじめ世界中の先住民の、その多くは聖地とされる場所から掘り出され
ていて、それに従事する人たちへの被爆や放置されたウラン残土がいまも住民達
を苦しめていること。
そして放射性廃棄物の地下処分場にヤッカ・マウンテンなど、彼らインディアン
の土地が狙われていることにも大いに懸念していた。またカリフォルニア州の原
子力発電所のその多くから放射性物質が地下に漏れ出していること伝える新聞の
記事を大事に持っていて、それを見せながら多くのことを語ってくれた。
そして「聖なる場所をこれ以上破壊してはならない。聖なる場所が聖なる場所で
あり続けることが、これからの地球の再生に繋がるのだ」と繰り返し、何度も述
べていた。
その夜ウーンデッド・ニーは、一泊を奥さんと一緒にうちで過ごし、翌朝広島ま
で向かう彼らを新神戸まで送っていった。
彼は、こちらが何か言えば、同意するかたちで「ホーミタクヤシ〜」と言う。
ほんとに自然に何か、ああ〜そうだな、みたいな感じで「ホーミタクヤシ〜」と
言う。
これはHO ! MITAKUYE OYASIN’というスーの人たちの祈りの言葉で、ALL MY RELATIONS わたしにつながるすべてのいのちよ!という意味だ。彼らはスウ
ェットロッジの中やサンダンスなど、儀式の最初や最後にこの言葉を繰り返す。
それは他者、と言っても人間だけじゃなく、全てのつながるいのちを、いつも祈
っている、ということ。
また、彼らは決して自分のために祈らない、と聞いたことがある。それはつなが
る全てのいのちを祈ることで、その輪の中に自分自身も含まれていることを知っ
ているからだ、と。
それがMITAKUYE OYASIN’という祈りの言葉。
でもウーンデッド・ニーみたいに日常それも四六時中いつもこんな風に言ってる
インディアンには初めて会ったなあ。
ちょうど、純さんがことある毎に「ナムミョーホーレンゲーキョー」と言うのと
一緒だなと、ちょっと可笑しくなったけど、いつのまにかこっちも「ホーミタク
ヤシ〜」と言ってる自分がそこにいた(笑)。
なんて言うか、久しぶりに、ぼくらがインディアンの人たちに出会った20代の頃
に思った、ああ、彼らとは初めて会ったとは思えない、なにか不思議な気がする
な〜、なぜか懐かしい感じがするなあ、っていう、そんな気持ちを思い出させて
くれる人だった。
もちろん、いまもその祈りの道、レッド・ロード(赤い人の道)を歩く人ならで
はの、真摯さと素朴さが感じられるその人柄がうれしかった。
また、彼らとはいつか会えるような気がする。サンフランシスコ来たらいつでも
来い!って言ってくれたしね。
Shellmound Peace Walkにもそのうち歩いてみたい。
そしてできれば今度は祝島、上関にもお連れしたい。
大地の守り人は、いつも謙虚で、そして祈りを忘れず生きている。
 HO ! MITAKUYE OYASIN’
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(どことなく日本のおじさんみたいな、優しい顔が印象的だった)
DENNIS.jpg
死ぬには良い日だ A.I.Mの指導者デニス・バンクスの半生。インディアンたち
の権利回復運動初期において、まさに生命をかけた闘いが綴られている。特にウ
ーンデッド・ニー占拠、その前後のことは今読んでも息をのむ。クロウドッグの
活躍はもちろん、ペルティアやマーロン・ブランド、純さんも出てきます。
翻訳は永年ビッグマウンテン近くに住みサポートを続ける友人です。必読ぜひ!)

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DO GOOD FOR OTHERS ! HAPPY NEW YEAR ! 2011

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7年ぶりのサンフランシスコ。
グレイトフル・デッドのメンバーたちによるFURTHURというバンドのコンサートで
2011年は明けた。
ずいぶん前、’93年暮れに逃したDEADのNYEショウ。以来はじめて体験するNEW YEAR’S EVEコンサート。
半世紀近いDEADの歴史とそのバンドへの想いをたっぷりと、思い思いに着飾り表現し
たオールド・ヘッズから若いヘッズまで、約7000人のデッドヘッズたち。
2セットが終わり、ゆったりブレイクの後、楽しい出し物と共にカウントダウン・・・4,3,2,1,0, ハッピーニューイヤー!!歓喜の中、写真や映像でしか見たこと
なかった大小数千の風船が天井から降ってくる!
そしてラストのセットが始まった! やっぱり年明け最初はお約束のあのナンバーか!?
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この年を挟んでの数時間のことは、またおいおいと報告がてら書いておきたいと思って
ますが、今振り返ってもスペシャルな時だった。そんな夢のような時間が醒めやらない
まま3時半頃帰路につき、会場すぐ近くにある古いホテルで昼近くまで眠りこけた。
目が覚めると、小雨のぱらつくサンフランシスコ、2011年1月1日。
部屋を出て、同じように昨夜の名残を全身に漂わせる、たくさんのデッドヘッズたちの
、その列に並びチェックアウトを待っていた。いたるところ素敵なウッドの内装で被わ
れた、古いけれど風格をも感じられるこのホテル。そのロビーに溢れるタイダイのTシャ
ツや仮装パーティのようなヒッピーたち。これぞサンフランシスコって感じだけれど、
そこにまた仮装したかのような、少し時代がかった衣装の黒人の親父さんが現れた。
よく見ると、デッドヘッズとは何も関係ない、このホテルのクローク係かドアマンの制
服を着た人のようだが、この一団に混じると、なにか映画のワンシーンのようにも見え
た。そして列に並ぶ一人一人に近づき、HAPPY NEW YEAR ! と声をかけ、一人一人
に続けてこう言った。
Do good for others ! これが今年2011年のキーワードだ!いいかい!!

DO GOOD FOR OTHERS ! 他のものに良きことをするんだ!いいね!!
年明けた異国の地で、まるで名もなき聖者のようなおじさんから、もらった言葉。
DO GOOD FOR OTHERS !
うん、しっかりと胸に刻んで、毎日をすごそう。
2011年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします!
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DO GOOD FOR OTHERS !
and MOTHER EARTH !