SOUTH TO NORTH

(前々回より続く)
5月27日朝の伊丹発の飛行機で青森に飛んだ。
2日前に開催した「たべたいねん青森 いらんねん再処理」の集いで採択した決議文を青
森県庁に行って知事さん宛に渡してもらうよう、申し入れするためだ。
とはいえ最初は代表団の一員として行こうなどとはぜんぜん思っていなかった。
しかし当初行くと決めた人が2人しかいないこともあって、いつか近いうちに六ヶ所村
行きたいと思っていたし、どうせ行くなら今回は頭数の一人として少しくらいは役にた
てるかも?と決めた次第。
それが呼び水じゃないけれど、その後関西から11名にYAMさんも青森から合流する
ことにもなって計12名の代表使節団と相成った。
今回の団長をつとめたのが、和歌山のビッグマザー「原発がこわい女たちの会」の
Mお母さん。
古くから一緒にやってきた美浜の会の代表のKさんなんか、変に縮めて「こわい女」と
呼んでいるが、実際かつて和歌山各地5カ所に原発建設の白羽がたった時、ことごとく
白紙撤回させてきた”原発もこわがる”スゴいお母さんたちだ!
原発5基止めた!なんて、今からでもギネスブック申請しよかな〜、と思うくらい。
再処理のこと知った若い人たちや、各地の原発現地で関心持って行動を始めた若い人た
ちにぜひこの事実だけでも知らせたいと思う。
きっと、大きな希望感じると思うから!
他メンバーはやっぱり「六ヶ所村ラプソディ」見た後、なんとかせんと〜!と動き出し
た20代や小さい子どもを持つお母さんなど、若い人が多かった。中には夜行列車で駆
けつけたり、飛行機で日帰りの人もいて頭が下がる。
さて、青森県庁に到着して、まずは議員会館で再処理に反対する県議の人たちと話あっ
た。お昼を済ませ、そしていよいよ申し入れに向かうために廊下を歩いていると、農林
水産部の部屋の入り口にこのような垂れ幕がのれんのようにかかっていた。
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そうそう!だから、そこんところをハッキリさせてもらいたいから、今日来たんですよ!
関西から。
用意してもらった部屋に入ると、この後予定してる記者会見のために来てる新聞社の人
たちと思われる、いいカメラ持った人たちがたくさんいた。
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団長のあいさつの後、知事さん宛の関西からもってきた決議文を「母の会」のお母さん
が読み上げ手渡した。
その後、一人づつ自己紹介をして伝えたい事をそれぞれ言った。
初っぱなから、想いが高まって涙で声を詰まらせたお母さんたち。
ぼくは、というと、みんな言いたい事をメモしてきてたにも関わらず、この場で感じた
まま、即興詩人のように言いたいことを言った。
と言えば、かっこいいが、この前のイベントやこの青森行きと時期同じくして追加の
Tシャツが上がって送ったりバタバタしていてそれどころではなかった、のがホントの
ところ、、、。忙しかったんだよ〜〜ホントに!!
でも、2日前イベント当日の朝、ちょうどすごいタイミングで、普段は六ヶ所の文字す
らこっちの新聞では見ることなんてないのに、
”六ヶ所村再処理工場の真下にM8クラスの地震の可能性がある未知の活断層が!”
と、全国紙のトップで出たもんだから、これは是非とも阪神淡路大震災の”被災者”とし
て、見てきたものを話さないと!と思ってたからね。
いや〜、中国四川の地震、M8がいかに凄まじいかが、連日報道されてるタイミングで、
六ヶ所にM8クラスの地震の可能性が!なんて、本当にこれはなんとかしないと!だ。
そんな風向きもあって、
「ぼくは阪神淡路大震災の当時、近未来都市のモデルとして建築の賞も取った公団住宅
の最上階24階に住んでいました。ここは耐震構造もしっかりうたわれた、国が造った建
造物でもあるのですが、あの地震で半壊となりました。またここはあの高速道路が倒壊
したところから1kも離れてないところにありました。あの倒壊した高速道路の姿はいま
でも目に焼き付いてはなれません。ぼくの住んでいた神戸の姿はほんとうにこの世のも
のとは思えないものでした。これ以前に起きたカリフォルニアの地震で高速道路が倒壊
した時、こぞって日本の専門家は、ぜったい日本では同様なことは起らないと言ってい
ましたが、現実は見てきた通りです。世の中に絶対!という事はありえない、という事
は僕は震災被災者として身を持って体験しています。阪神大震災の時はマグニチュード
7.3です。今回起った中国の地震はマグニチュード8。これは阪神の15倍ものエネルギ
ーです。今回、再処理工場真下に見つかった未知の活断層は、同じくマグニチュード8
の地震を起こす可能性がある、と新聞に書かれていました。六ヶ所村再処理工場の危険
性は日々排出する放射能に加え大地震の可能性によりもっと高まったと思います、、」
と、農産物や海産物についてとか、一通りみんなが言った後だったんで、ここを強く伝
えたつもり。 もう”想定外”という責任逃れは許されないしね。
あらかじめダライ・ラマの顔がど〜んとバティック染めで描かれたTシャツを着てきて
いたので、話はじめに場を和まそうと、
「ぼくは兵庫県の瀬戸内の西の端、忠臣蔵でおなじみの播州赤穂で生まれました。しか
し今日は討ち入りに来たのではなく、(ダライ・ラマを見せながら)非暴力によるお願
いに参ったのです!」
と、そしたら最初は笑いが起きたけど、その後はピタっと、青森県エネルギー総合対策
局の人たちは終始表情を表に出さなかった。しかし対照的に農林水産部の人たちは、こ
ちらから出る意見にいちいち頷きながら聞いてくれて時折笑顔も見せてくれた。
青森県が掲げる「攻めの農林水産業」やYAMさんが指摘した知事自らが言う「日本一の
土作り」という標語が、再処理事業と矛盾するにもかかわらず縦割り行政的にはこれも
やはり推進していく方向ではあるんだな、と改めて確認出来たような気がした。
その上で、この農林水産部の人たちは個人としてはやっぱり再処理には懸念反対してる
んだ、とそう思えた。
ぼくらは関西に住む一生活者として来ているので、専門的なことや理論の必要なことは
それこそ専門家に任せて、普段生活してる一般の人間が、自分も、そして子どもらも放
射能にまみれた食べもんを食べるしかないことになったら、そら大変や〜!と、そうい
う「当たり前のこと」をもっと強くアピールすることが大事だと思った。
相手も立場があるのは、あたりまえやけどようわかる。けれど、そんな立場が今ネック
となって、なんの解決にもなっていかない事が大問題なんやから、どんな立場であった
としても、一人の人間として心と心、心に伝え、心に響いたとこから、またそんな立場
なんかを超えて一歩進んでいくよう思うからね。
みんな家帰ればいいお父さんたちなんだろうしね。
なので、お母さんたちの熱い涙や言葉は響いたと思う。
「ただの主婦です・・」と言いながら、ただものではない人たちばっかりやからな〜
(この事は後に判明、笑)
その後、別室で新聞社の人たちを前に記者会見をおこなった。
以前もピースウォークやなにかで記者会見体験したけど、いつも、というか新聞社にす
ればそれが当たり前なんだろうけど、こちらの団体、主体(正体?)を知りたがる。
今回もだけど、こちらは1団体や組織で動いてるわけではないし、グループを作ってや
ってる人もいるけど、この集いからの一連の流れは、個人のつながりに依るところが大
きい。なので、その辺りの説明に時間を取られる。
山尾三省さんが遺した言葉に、これからは政治運動や組織運動より、また市民運動より、
それらを超える個人の運動が大事、とあるけれど、本当にそう思ってやっている。
県庁を後にして、次に青森農協中央会を訪ねた。
120%の食料自給率を誇る青森だからこそ、農協の人にも関西からの声を届けてなん
とかいのちの恵みを守って欲しいと。
実際、関西にどれだけ青森から農産物が来ているか、仲間たちが調べてグラフにしてい
たから、その事実も応対してくれた副会長さんに手渡し伝えた。
この人たちも実際は反対なんだと、言葉の端々からその心の部分が伺える。
しかし副会長さんが所用で帰られた後、永年反対運動をしてきたと聞く農業生産者の人
が「本音で言っていいですか?」と断って話された現実は重かった。
当時、参院選で反対派が勝って、それで安心したせいか知事選で負けてから徹底的に切
り崩されていった、という経緯。
前に社会派で反核のジャーナリスト、明石昇二郎さんからも、当初は農業従事者の反対
はすごくて、もう一歩で撤回できるほど力があったのが、内部分裂と自民党による徹底
的な農協組織の骨抜きで崩されていった、と聞いていたしね。
そんな永年の苦悩が伺えて返す言葉もなかった。
ただでさえ農業の現実、未来は厳しい、その上に放射能・・・
けれど、自分たち農業生産者が20年前に言ってきた同じ言葉、
「食の安全を問われる日がいずれ来ますよ」と。
その日がついに来たか、と言ったその言葉がこころに残る・・。
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出していただいた、むちゃくちゃ美味い搾りたてリンゴジュース。ここにもやはり
「青森の正直、決め手は、青森県産。」
この言葉は県の役人が決めたキャッチフレーズというより、農家の人の本心だろうな、、、。
その後、「六ヶ所村ラプソディ」に出てくる菊川さんの「花とハーブの里」に宿泊させ
てもらうため六ヶ所村に向かった。牛小屋を改装してゲストハウスとカフェになったス
テキなところに着いた時、他のゲストやスタッフに知ってる顔が4人もいておどろいた! 
本州島の西端の上関原発近くであったアースデイでも会ったAKOちゃん(5/25の集いの
賛同人にもなってた)という旅人にも北端のここで再会し、またあの紙芝居もみせても
らった。AKOちゃん、愛がとう〜(笑)
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ここは以前、アメリカ放浪時代に世話になったお寺の感じによく似ていて、サンガと言
う方がしっくりくる。菊川さんはまるで尼僧さんのよう! なにか初めてとはおもえな
いほどくつろげた。
偶然!この夜は西表出身で今は大阪を拠点に活躍する「南ぬ風人のまーちゃん」の祭り
がここであって、いや〜、5・25から今日の使節団までのバタバタ多忙な日々の、結
果打ち上げ的な夜と相成った。
まーちゃんとは、時々いっしょになることもあるんだが、おもしろいのは、まーちゃん
が子どもの頃、西表の同じ部落のとなりの家に内田ボブさんが住んでたこと!夜な夜な
歌が聞こえてきて、ボブさんちの子どもとよく遊んでたので、遊びに行くと、焼きたて
のパンをくれたんだと。当時の西表にはヘンな人がいっぱい来て住んでた!って。
しかし、いつ聴いても、まーちゃんの祭りのはじめに唄う、祈りの歌はいい!
節は西表の伝統的なものだろうが、歌詞はその土地、その土地の地の神さま、というか
スピリットというか、そこに在るものとつながるコトバを感じたまま唄い上げる。ほん
とうに生きた祈り歌だといつも思う。インディアンの祈りの歌にこころ震える。そんな
感じが、南の島にも生きている、そう感じさせてくれるまーちゃんの歌だ。
北の大地で南の風を感じ、またRETURN TO ヤポネシアさせられる!
そうして祭りがはじまっていった・・・。
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佳境に入り、何人かのエイサー隊の女性たちが舞踊る!
あれっ?!この人どっかで見たことある人だな〜!と思ってたら、ナンと!一緒に来て、
今日昼間県庁で決議文読んで、そしてウルウル声詰まらせながら「私はただの主婦です
が、、、」なんて言ってたお母さんじゃないの〜!
え〜〜!ぜんぜん聞いてないよ〜〜!!
なに!このかっこいい動き!ぜんぜんただもんじゃないやん!!
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そして、全員、最後はごらんの通り!
おいしい地酒も回って、初めての六ヶ所村最初の夜はこうして溶けていった、、、。
( またまた続く・・・)

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