縁の行者(1)

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2月初めの節分に奈良県の奥吉野の天川村にある天河弁財天社に行った。
毎年この節分の御神事で、友人でもある天空オーケストラの岡野弘幹がこちらの
神社の立派な能舞台で奉納演奏をしていて、今年でもう5回目となる。
その最初の年と3回目の時もいっしょに立ち会わせてもらったのだが、今年も
その縁で行かせてもらった。
2月2日の晩、天河神社独特の節分神事「鬼の宿」に参加させていただき、一泊
して翌3日の朝の神事から、これまた天川、吉野のこの地方独特と思われる
「鬼はうち〜!福はうち〜!」のかけ声での豆まき。そして採燈大護摩と、今回
もありがたい季節の節目を、ここ天河神社でいただくことができた。
しかし、3日の夜に行われる岡野君の奉納演奏は今回は参加できなかった。
それでも行かせてもらったのは、今回ここに来られると聞いたある人に再会した
い、と思ったことがきっかけだった。
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年明けて、買ったばかりのSpectatorという雑誌をパラパラ見てたとき、山形にて
山岳修験道、山伏の修行している若者の記事が目に留まった。
その中で彼が師事しているのが、羽黒修験の大先達で、大聖坊(だいしょうぼう)
を営む星野さんだった。
星野さんとは11年前の1999年のお盆に月山で初めてお会いして、いろいろとお世
話になった人である。
その星野さんが、今回、天河神社に初めて来られると岡野君から聞いた。
羽黒山伏大先達の修験者が大峰修験のメッカに来られる。
修験道についてはことさら詳しくないが、これは何かスゴいことだと予感した。
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星野さんと出会うキッカケになったのは、この前の年1998年の11月にさかのぼる。
東京の代々木公園であった、2回目のレインボー・パレードの時、たぶんぼくら
はビッグマウンテン支援のブースとしてティピを2張りたてて出してた頃だったか、
初日の夜に仲間の河内アキオと一緒にタツロウさんの家にご飯食べに行った。
ここに天空オーケストラの岡野くんも来ていて、ご飯食べながらみんなで自然と
いろんな話がつながっていった。
タツロウさんは当時、岡野君のCDのレーベルとか和太鼓グループgocooに関わっ
ていた、ぼくらより一世代上の人で、’88の”いのちの祭り”の実行委員の中心の一
人でもあった。
それでタツロウさんから、’88’のまつりの時もそうだったけれど、’77年にもミルキ
ーウェイ・キャラバンという、別名”生存の行進”というのが起きて、振り返ると、
これも時代の節目の大事な出来事だったと思う。そんな風に10年毎にムーブメント
というか、その後を方向付ける大事なことが起きてきた。だから来年の’99年にも
何か起きるんじゃないかと、期待するんだけどね〜。
そんな話の中から、来年の’99年、2000年代への一年前(21世紀は2001年からだ
けど)のこの年に何が起こるか、また何が出来るか、いや!何かやりたいね!っ
て話になっていった。そうして誰彼ともなく、キュウジュウキュウネン、キュウキ
ュウ、クク!そうだククリ(括り)の年でもあるから、いままでの100年、いや
1000年規模の総括、括りの年にしよう!と話は多いに盛り上がっていった。
いままで永い間、この母なる地球に対しておれたち人間が行ってきた数々の行い
の、その結果、こんなに無惨な姿にさせてしまったことを、先ずはあやまろう!
世紀が明ける前に、今世紀中に、ごめんなさい!をしようよ!と。
そしたら、みんなが、そうだ!そうだ!それがいい!
先ずはしっかり、あやまろう!
男として女に、子どもとして親に、親として子どもに、日本人として近隣アジア
に、人間として他の生き物に、そしてマザーアースに、心からあやまろう!
そこをちゃんとやってから次の世紀を迎えたい、というか、そこをちゃんとしな
いと次の世紀が迎えられないんじゃないか、という危機感も感じながら、それで
’99年の一年間を各地で「地球にごめんな祭(さい)」をおこなおう!ということ
に全員一致で決まったのだった。
そして早速、翌日のレインボー・パレードにて、ステージのトリを飾った天空オ
ーケストラと一緒にぼくらもインディアン・ドラムを打ちながら「レインボー・
ウォーリアーズ」の歌を歌い、そして岡野弘幹が集まったたくさんの人たちに、
そのビジョンを呼びかけた。
「いままで永い間、この母なる地球に対しておれたち人間が行ってきた数々の行
いの、その結果、こんなに無惨な姿にさせてしまったことを、先ずはあやまろう!
世紀が明ける前に、今世紀中に、地球に、いのちにごめんなさい!をしようよ!」
その瞬間、大歓声!巻き起こるのなか、「地球にごめんな祭」がはじまった。
個人の想いが、ただ単に個人的なビジョンに終わる事なく、多くの人に響き合い、
グローバルなビジョンになる、という場面を感じた瞬間でもあった。
その後、鎌田東二さんやTBSの西田さん、谷崎テトラたちも加わってミーティング
があり、そして鎌田先生から’99年、謝罪として「地球にごめんな祭」を行ったら、
翌2000年からは世界から先住民や人々を集めて祝福の「おかえりな祭(さい)」
をやって、そして21世紀を迎えて、今度は「旅立ちな祭(さい)」を行おう!と
大きな提案がなされた。
そして、この一連の祭りを「虹の祭(まつり)」として全国各地で行おう!と
ビジョンは増々大きく膨らんでいった。
’99年明けて2月、先ずは大阪浄土宗のお寺、應典院にてアメリカ・インディアン・
ムーブメントの指導者デニス・バンクス氏を迎えて「虹の祭」はスタートし、4月
に千葉、5月に横浜の郊外「子どもの国」にて「アースデイ虹の祭ギャザリング」
を開催。ここにもまたまたデニス(バンクス)も駆けつけてラストのエンディング
は世界各地の多様なドラムがたくさん集まって大地を響かせ、天に届けた。
そして8月5、7、8日の3日間、奈良の東大寺と春日の園地にて「虹の祭〜地球に
ごめんな祭~NARA CARNIVAL」が開かれる。いにしえの奈良の都にティピを
3張りたてて、この時はメキシコの先住民ウィーチョルの人たちがやってきてく
れ祈ってくれた。この時「虹の祭」のポスターを伊藤清泉さんが描いてくれたん
だが、祭りの終わりに春日の大社神前にて、奉納がおごそかに終わった時、空を
見上げると太陽の周りに丸く虹(日輪)がかかっていた。その時、世界遺産でも
ある鎮守の森の原生林から一羽の鷹が飛び出して、ちょうどポスターに描かれた
ままの世界がそのまま顕現したのはびっくりした!
そして虹の祭りは続き、お盆には山形県鶴岡の月山にて虹の祭の一環として
「霊舞(レイブ)オン月山・炎の祭り」につながっていった。
これは、’95年神戸の震災ボランテイアの神戸元気村の副代表で、当時ぼくも岡野
君もその縁で知り合った草島進一(通称スターン)が、郷里の鶴岡に帰り月山ダ
ム中止を訴え市議に見事トップ当選した。そんな流れで起きた祭りだが、月山と
いう古来、東北の霊山を祀る必然の神事となっていった。
ここ月山は出羽三山の一つとして古くから山岳修験の聖地として崇められてきた
山だ。
たぶん山岳修験が起こる以前のはるか縄文の昔から、この山はこの地に暮らす
人々の、月に象徴される、水の恵みもたらす聖なる山だったと想像する。
そして修験道以降、三聖山である、羽黒山、月山、湯殿山のなかでも一際高い
山である月山は、この地に暮らした先祖の霊が帰り住む山とされてきた。
ぼくはちょうど毎年通うビッグマウンテンのサンダンスから帰ってきたばかりだ
ったから、この聖山がナバホの四聖山のひとつで、同じくホピのカチーナ(精霊)
が住むとされるサンフランシスコ・ピークスと同じだなあ、と理解した。
かつて、この辺りでは、祖霊が里の家々に帰るお盆の時に月山頂上から火を降ろ
してきて各家々に配り、お盆の迎え火としていたのだそうだ。
この火降ろしの御神事をもう一度、そのスピリットとともに復活させようと、始
めたのが「月山・炎の祭り」だった。
この伝統神事を指導し、取り仕切ってくれたのが、ここ羽黒修験の大先達の星野
さんと山伏の方々だったのである。
夏とはいえ2000m近い月山の頂上から火を降ろし、麓の祭り会場にて火を灯すと
ころから祭りはスタートするのだが、あいにくの雨風吹き荒れる天気の中、いっ
こうに火はつく気配も起きなかった。そのくらい大雨だった。そして、みな少し
ずつあきらめの気分が蔓延しだす中、なぜか祈りが試されている、と、そう思っ
たのだ。
この年のビッグマウンテンでのサンダンスの時も火をつけるところから儀式がは
じまる時に、直前のスコールかなにかのせいで、いっこうに火がつかなかったこ
とがあった。この時、チーフであるノーマンが自ら祈りの歌を歌い始め、それに
続いてみなが歌を合わせ、意識を合わせ、祈りを合わせた。
するとどうだ!ちゃんと火は起きて、しっかりと燃え始めたではないか!
そのことを思い出し、夜の大嵐の中、ぼく自身の祈りとしてサンダンスの歌を歌
い、それに何人かのサンダンスの縁あるものが歌を合わせ、火が無事に燃え盛る
事をひたすら祈った。
さあ、やっぱりこころは届いたのだろう!
この雨の中、火はようやく「祭り火」としてしっかりと灯ってくれた。
そんな流れで、ぼくは祭りのあいだ火をお世話する役目をさせてもらった。
この期間中も、準備のとき含めて毎日、あらゆる虹を見る事ができた。
一回は夕日に照らされて東に大きな虹がかかったのだが、その夕日の方角にまた
小さな点のような虹も出ていた。
この時も鷹が飛んだ。
忘れられない光景だ!
そして祭りの最後に火をまた月山に還す送り火の時に、空を見上げると太陽の周
りに、まあるく虹の日輪がかかっていた。
祭りが終わり、最後に月山にお礼を捧げにみなで登った。
もちろん八合目あたりからだけど、万年雪があり、途中霧もでて、行ったことな
いけど、月?とか幽玄界?のようだなあ、と思った。
遅い午後の登山、それにしてもTシャツ、短パン、ビーサンで行ったのはヤバかっ
たけどね(無知もいいとこ、、真似したらダメです!)!
その夜だったか、直会(なおらい)で星野さんの営む山伏さんたちの宿坊、大聖
坊(だいしょうぼう)で精進料理をいただき、名物の二升はたっぷり入る大さか
ずきでお酒を飲んで、もちろん知らぬ間に撃沈した。
今回、天川では、その時以来10年半ぶりの星野さんとの再会だった。
(続く)

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