縁の行者(2)

久しぶりにお会いした星野さんはヒゲも伸び、前にも増して風格を感じられた。
それもそのはず、羽黒山伏のなかでも「松聖(まつひじり)」と呼ばれる、2人
の選ばれた人だけが、それぞれ百日間の籠りの行を成し遂げる。その間、髪もヒ
ゲも伸びるにまかせるのだそうだ。
その「松聖(まつひじり)」となった星野さんは、以来そのままヒゲを伸ばして
あると聞いた。
月山・炎の祭りは、地元の若い世代が中心となり、あれから毎年続けられ、岡野
君もほぼ毎年のように関わってきたと聞く。
そして岡野君が昨年夏に、星野さんとのご縁で出羽三山での奉納演奏を行い、岡
野君から今度はぜひ、大峰吉野の天川にもと誘われて、それで若い男の山伏と女
の山伏を連れて、初めてここに来たということであった。
この若い男の山伏が、なんとSpectatorに、山伏の修行している記事を書いた本人
で、普段は東京でイラストレーターや映像作家をしている坂本大三郎くんだった。
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                 (坂本大三郎くん)
女の山伏は、最初の「月山・炎の祭り」にお手伝いで来ていて、2回目からはステ
ージのMCもやっている地元のアナウンサーの人だった。この縁で星野さんの山伏
修行を行うようになったらしい。羽黒修験もかつては女人禁制であったらしいが、
いまでは女性にも開かれているので、ここでは女の山伏がいると聞く。
でも、ここ吉野、大峰山では、いまだ女人禁制であるため女の山伏はいない。
加えて、その独特の市松柄と頭巾の姿で、2人とも一際目立っていたな!
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 (向こうから大峰山伏、熊野山伏、鎌田先生、羽黒山伏)
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そこに松聖姿の星野大先達。
この大胆さが縄文的、というかパワフルでダイナミックというか。
いや〜、なんか羽黒修験の格好は憧れるなあ〜。
初めて「月山・炎の祭り」で見かけたとき、ビッグマウンテンのサンダンスの直
後でもあったから余計だけど、その独特の祈り人姿にサンダンサーと通じるもの
を感じた。それは初めてアイヌや琉球以外の日本の信仰というものの中に、今も
息づく自然崇拝、自然信仰、そしてはるか古代からつながる、この列島の原初の
スピリットを感じたのかもしれない。
とにかく渡来系の文化が色濃く残る、いまの神道の人が着る衣装や、また仏教的
なものとも違う、その大胆な柄や色彩に、なぜかアイヌ文様や縄文文化の香りを
感じてしまった。
たぶん、そんな古来からのつながりや、蝦夷やエミシと呼ばれた古代東北の民族
的な感性が反映されているんだろうが、その感性を生んだのは西日本の照葉樹林
文化とは違う、春は新緑が萌え、夏には緑が輝き、秋には全山紅葉に燃え、冬は
全て世界が真っ白に覆われる、東日本、東北の落葉広葉樹林が織りなす自然のダ
イナミクス、そのサイケデリックな世界が影響しているのだろう。
また修験道は大和葛城に生まれた役行者(えんのぎょうじゃ)が、その祖とされ
るが、出羽三山では、それより少し前の時代の崇峻天皇の子の蜂子皇子(はちこ
のおうじ)を開山者として、役行者を中興としている。
なのでやはり民族的な系統もどこか違うような感じもする。
でも、ここで言いたいのは、だれが開祖だとか、系統がどうだとか、ということ
ではなく、今は同じ山岳修験道というスタイルに確立された、この信仰の本質的
なところ。それは山や自然は聖なるものであり、そこにはカミやホトケ、八百万
の神々のごとく多様な生命のエネルギーがあふれ、その霊地と一体化する中で、
ヒトの精神、霊性も進化し、その宇宙の真理に目覚める、ということ。
その真理に気づき、目覚めたものが役行者であり、蜂子皇子であり、行基であり
、最澄、空海であり、富士を開いた角行であり、白山を開いた泰澄であり、全国
に無数の仏を残した円空や木喰・・・等であったと思う。
それはかつて太古には名前も残さないシャーマンやメディスンマン的な人であっ
ただろうし、時代を経て、あるときは修験の行者であったり、仏教僧であったり
しただろう。
とにかく人が山を霊山、聖山にするのではなく、山の聖性、霊性に、人が感応し
、山の神聖さ、自然のスピリットに気づくことが修験道のはじまりだったのでは
ないか。
それはインディアンやアイヌをはじめ多くの先住民がいまも大地や海、地球を母
なる存在として信仰することであり、この国では天台密教の「草木国土悉皆成仏
(しつかいじょうぶつ)」という言葉で表現される思想であるし、エコという、ち
ょっとコマーシャルで軽薄な言葉に成り下がった感のあるエコロジーの、その本
来の意味である、「いのちはすべてつながっている」というディープ・エコロジ
ーの思想と相通ずるものだろう。
なので、この島々からなる列島各地の山々を信仰し、守ってきた山岳修験道は、
いま自然が破壊され環境の保護が叫ばれる時代においてもっと重要とされ、そし
てもっと注目されていくのではないか、と思うのだ。
とにかく、そんな東北の山々を信仰し、一体となって守ってきた羽黒修験者が、
役行者が修行され開かれた大峰、吉野の天川に参られるのは素晴らしいことだと
思った。
これは、もちろん岡野君の働き、ご縁に依るところが大きいが、きっと目に見え
ない感応の世界のなかでは、大峰と出羽の山々のスピリットが、また役行者や
蜂子皇子のスピリットが、大いに働いていることだろう。
天河大弁財天社は、大峰山、弥山の麓にあって琵琶山とよばれる聖地にお社は
建っている。ここには役行者が修行中降りてこられた女神さまを弁財天として
お祀りしたところでもあり、また太古から聖地として、今はこの神殿の建つ磐
座を祀ってこられたところだろう。空海も高野山を開く前にこの地にこもり修
行されたのだそうだ。神社の向かいにはそのゆかりのお寺がありその時代から
あるものなのか、見事な大銀杏の木が立っている。
初めて天河神社に来たのは、たしか1989年の秋だったか。この大銀杏の葉が見
事に金色に輝いていた。また、この夏に2百数十年ぶりに新しく社殿が建て直
された年だったと思うが、立派な檜造りの白木の神殿も一際輝いていたように
憶えている。
以来、節分の神事や、また何もないときにも気が向けばここに来ていた。
とにかく気がさーっと晴れるような、そして何かに包まれているような温かい
感じがいつもして、都会暮らしの身にはありがたかった。
そしてちょっとした不思議なシンクロもよく起こったな。
ぼくらはミュージシャンではないので、もちろん奉納演奏なんて出来ないけど、
以前タオスプエブロインディアンの村で買ったインディアンフルートのテープが
気に入って、それで、天河神社にずうずうしくも奉納したことがあった。
それから、しばらくぶりに訪れた時、夕方近くの温泉から民宿に向かって歩いて
いるときに、神社の境内にその聞き覚えのあるインディアンフルート曲が流れて
いた。
普段から、けっこうかけているのかと思って、翌日神社に訪ねると、掃除してい
て出てきたから、きのう初めてかけた、と言われた。
ちょうど初めてビッグマウンテンに行く直前だったから、なにか「いいサイン」
のような気がしてうれしかったな。
また、しばらくして行った時、偶然、宮司さんに呼び止められて家に招かれお茶
をいただいた。
その時にいろいろお話を聞いて、それでぼくらがインディアンのところに行って
いる、と言うと、「サンフランシスコにいる大和(やまと)を知っていますか?」
と訪ねられた。
大和さんは日本山妙法寺やインディアン運動とも縁の深いお坊さんだ、とかつて
サンフランシスコに住んでいて、大和さんの道場にもいた西尾の牧さんから聞い
てはいたが、まだ当時はお会いしたことはなかった。
それから8〜9年たって、ぼくらの通うビッグマウンテンのサンダンスチーフであ
り、地元サウスダコタのローズバッドに訪ねたときもお世話になった人であり、
またAIMの精神的指導者でもあるチーフ・クロードッグ氏と共に、’98年、お連れ
した大和さん、牧さん共々、ここ天河神社に来ることになろうとは、その頃は、
夢にも思わなかった。
おまけにチーフと宮司さんたちといっしょに温泉に入るなんてこともね!
その大和さんの墨書きした檜の柱が、天河神社の禊殿の横に立っている。
今回行ったら、近くには美しい立派な焼物の窯も出来ていた。
さて、そんな天河大弁財天社のこの節分の御神事は、先にも書いたが「鬼は
うち〜!福はうち〜!」と鬼を払うのではなく、鬼を迎え入れるところが素晴
らしい!といつも来るたび思うのだ。
ここで言う「鬼」とは何のことだろう? 
普通は厄や災わいを象徴するものだろうし、もっと言えば悪さを働く人物や魔
物みたいなものだとも言われてきた。
しかし「鬼」は桃太郎の話に語られるように、悪さをして退治させられる「異
形のものたち」とされているが、果たしてそうか?と、ちょっと疑問に思って
しまう。
昔、稲作文化を持ってきたような弥生系の人が、その水田に適した平地に住み
着くにつれ、しだいに山間や深い森、離れ小島に追いやられたような、弥生以
前から住んでいた人たち。それは縄文の血を色濃く残す人だっただろうし、狩
猟採集、または漁労で生きてきた人たちだっただろう。もちろん容貌も後から
来た人とは少し異なっていたと思われ、日本書紀や古事記などにも、山間部の
穴(竪穴住居?)に住む「土蜘蛛」などと、まるで人間ではないような記述で
残っている。
また信州では隠れた魂と書いて、隠魂(おに)と呼ぶ地方もある。この吉野で
も役行者に従う、民の名前が「前鬼(ぜんき)」」「後鬼(こうき)」である。
たぶん、歴史においては支配者側から「鬼」や「蜘蛛」とされてきたのは、た
ぶんに列島それぞれの地に早くから住む先住の人々だったのでは、と思ってし
まうのだ。
そんな支配者側の名残りとして「鬼はそと〜!福はうち〜!」のかけ声にも残っ
ているんじゃなかろうか?
しかし、ここ天河神社や吉野では「鬼はうち〜!福はうち〜!」と呼ぶ。
それは一体なんでだろう?
そんな天河の柿坂宮司さんのご先祖は、役行者についた「前鬼」だったと聞く。
だからなのか、前日の鬼の宿の神事でも、鬼を一晩招いて一緒に添い寝をする、
という。翌日、鬼が来た証拠に、玄関上がり口に張ったタライの水に鬼の足の汚
れである土が残っているかどうか確かめるのだと。それで、もし鬼が来た証拠が
なければ翌3日の節分神事は中止になるのだそう!
それでも、かかさず毎年やられているところを見ると、なんか、すごいなあ〜!
と思ってしまう。
また、節分に限らず、この天河大弁財天社の御神事の祝詞と共に、いつも般若心
経がたくさん唱えられている。
言うまでもなく、ここは神社で、お経が、まるでメインのチャントのように、何
度も何度も上げられるのである。
これもすごくいいなあ、と思う。
これは明治以前の神仏混淆の名残が残っているからだとは思うのだが、それでも
山岳修験という、本来、仏教とも神道とも少し異なる日本独自の信仰の形が、そ
の山の聖性を感じ、そしてそこに神を見て、またあるときは仏を見たように、本
来もっと自由でダイナミックな世界観があったのだろう。神様や如来や菩薩とさ
れる名前や宗教的なキャラクターは後からついてきたものであった、と思う。
神も仏もその名や姿を時に応じていくらでも変化させることができる。
それが神であり仏である所以だ。
なんて、大いなる神秘の存在を感じた古のホーリーマンたちはそう思ったのだろ
う。
そんな風に、神も仏も一体であり、共にその存在を称える形こそが、ぼくらには
しっくりくる感じだと思うし、やっぱり、すごくいいな、と実感するのである。
先住民を鬼として分け隔て、神様や仏さまにもランクをつけて、いのちの連なり
、つながりを断ち切ってきた。
その上、明治になってから、西洋に合わせるためだかなんだか知らないけれど、
神と仏を無理矢理分けて、そしてまた八百万の神々のなかにもランクをつけて、
本来、宇宙はマンダラであるものが、ピラミッド型の社会に無理やり変えてしま
った。
このことが大きな問題として、いまもいろんなところで尾を引いているんじゃな
いかなあ?
そんななか、ここ天河さんのお祭りは、全てが渾然となって、それでいて、みん
な祝福されているような感じがする。
だからいい感じである。
分け、隔てるんじゃなく、結び、開いてくれる、そんな感じ。
柿坂宮司さんのお人柄もあり、今回の大護摩供に集った、星野さん以下、羽黒
修験の若い男女山伏やいつも修養されている大峰修験の方々や熊野修験の先達
も一同そこにいた。
聖なる火のまわりにね。
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(右から星野さん、柿坂宮司、熊野修験の方、大峰修験の方々)
そしていまは京都大学の教授になられた鎌田先生も、毎年学生を連れて来られ
ている。
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        (縄文野焼き神事にて、笛を奉納する鎌田東二先生)
岡野君も毎年毎年すごいなあ、と思う。
寒い中、手も凍り、息も凍りながら奉納の演奏を続けている。
きっと音楽の女神である弁財天も喜ばれているだろう。
縁は連なりながら、そしてまた次につながっていくだろう。
季節の節目に、いいご縁を、ありがとう!
みんな「縁の行者」ですね(笑)!
(続く)
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             (リハーサル中の岡野弘幹)

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