RED OR DEAD(2)

その後ぼくらは西に向かう車に乗せてもらい、運転する若いアメリカ人ウォーカーの
帰る場所まで連れて行ってもらった。
その道中、イカした音楽がかかっていたので、これは誰?って聞いたらPHISHだと
教えてくれた。
その頃はもうPHISHの名前はよく耳にしていたけど、じっくりとその音を聴くのは
これが初めてだったと思う。おれたちはDEADが好きだって言うと、もちろんDEAD
はサイコーだけど、いま俺たち若い連中の間ではPHISHが流行ってる!って言ってた
っけ。
彼の名前はもう忘れてしまったけど、PHISHのホームタウンと同じ東海岸のバーモ
ント州から、ここネバダのあるインディアンの土地問題を支援するために来ている、
と言う。
その場所に到着すると、彼と同じように数人の若者が住み着いていた。中にはNO
NUKESという名前のヤツもいて、もちろん本名ではないのだが、その名前で免許証
まで作っていたのは驚いた! 
半分冗談とも取れるけど、ここまでやりきるアメリカの若いやつらは本当にエラい
なあ、ってつくづく思った。ぼくらが通うビッグマウンテンにも、そこに住む長老
たちの家に何ヶ月も何年も住み着いて、羊追いや薪割りなど、ただ黙々と支援を続
ける若者が少なくない。
それもけっこうインテリで、音楽好きのイカした連中が多い。
最近では、六ヶ所村の「花とハーブの里」や沖縄の辺野古や高江にいる若者たち、
そして山口県の上関に住む虹のカヤック隊たちも、そんなマインドの若者だと感じ
るけれど、当時の日本で、そんな最前線にどこか他の場所から何ヶ月も何年も住み
着いていろいろな問題に取り組んでいるというハナシはあまり聞いたことがなかっ
たからね。その昔は三里塚なんかはそんな状況だったかもしれないけど、イデオロ
ギーを背景に武力闘争を肯定するあたりはやっぱりノリが違うだろう。
もちろんアメリカ人の場合は、映画”荒野へ”のような、彼ら特有のワイルド・ウェ
ストへの憧れ、インディアンが住む未開の地へ冒険心、みたいな意識もないではな
い、と思うけど。
とにかくいま世界中共通するのはイデオロギーや革命闘争ではない、マザーアース
への愛や平和を願う意識からこういう若者たちがたくさん現れてきていると思う。
これこそがインディアンに伝わる”虹の戦士”の予言じゃないか、って思ったりもする。
2000年にビッグマウンテンまで行ったウォークの時に、もう一つのサンダンスを
世話するルイーズのところに住み込んでいたNO NUKESと、久しぶりに再会した
のはうれしかったな。
さて話は戻って、’94年のこの時は、残念ながら、そこの中心として活動するインデ
ィアンの家族には留守で会えなかったが、彼らの支援するどこかコミューンのよう
な家で深夜まで過ごし、夜中の3時頃にアムトラックが停まる無人駅まで送ってもら
った。
本当に皆いいやつらだったな〜。 そして2時間遅れでやってきた列車に乗ってベイ
エリアの友人のところまで戻り、その後日本に戻った。
しばらく日本で過ごし、フリーマーケットで古着を売ってお金を作り、当時は割と
簡単にもらえたB1 B2ビザという一回入国したら6ヶ月滞在出来て、そして延長も
可能なビザを取り直し、7月のサンダンスに向け再びアメリカに旅立った。
そのビッグマウンテンで、自分にとっては踊り始めて2回目のサンダンスをどうにか
終えて、もうゴールのワシントンD.C近くまで歩いているウォークに合流しようと、
急ぎアリゾナから車をぶっ飛ばすことにした。
当時ぼくは’76年式のダッジバンのロングを家代わりで乗っていたから、走るトラブ
ルはそれこそ日常茶飯事だったけど、人と荷物はけっこうたくさん載せることがで
きた。
この時もサンダンスにやってきたナガイとジュンコちゃん、そこに’92年以来、何故
か毎夏ひと月あまり一緒に旅をすることが続いているメルビンというナバホ・イン
ディアンとその彼女のアメリカ人シャイラ、そして当時のパートナーのカオリコを
乗せて、’76年ダッジバンを東に向けてひたすら走らせた。
このメルビンというナバホの人は、ぼくらより10才以上年上で、身体はそんなに大
きくないけれどロングヘアーに丸い顔、インディアンには珍しくヒゲをはやしていて
、いつも愛嬌たっぷりのクマみたいな人だった。
’90年初めてビッグマウンテンのサンダンスを訪れたぼくは、誰からかは忘れたけれ
ど、インディアンの人にはタバコを渡すと喜ばれると聞いてたから、マルボロを何
カートンか買って、最初は会う人会う人に渡していた。もちろん貰った人は皆喜ん
でくれるのだが、そのなかで一際喜んでくれたのが、このメルビンだった。
その時のことは今でも忘れられないが、日本人がキャンプしていた場所に遊びにき
たメルビンに、これをどうぞ、とマルボロを渡すと、それまで笑顔だった顔が真顔
になり、「おれに?」と言って、そしてしばらくしてからサンキューと握手してく
れた。
そして翌日だったか?メルビンが再びやってきて、大きなイーグルフェザーを差し
出した。
そしてナバホ特有の口を突き出す仕草をしながら、「for you(おまえに)」と!
当時はまだインディアンの世界を知らないことだらけの自分だったが、それでも
イーグルフェザーの意味くらいは少しはわかっていたつもりだった。
若いゴールデンイーグルのその羽根は特徴ある白黒まだら模様で、少し年季が入っ
ていたけれど、「これは2枚対であったものだが、そのもう一枚の羽根は以前(レ
ナード)ペルティアのいる刑務所を尋ねて、そこで一緒にスウェットをして彼にあ
げた」と言った。
もちろん当時のぼくはペルティアのこともそんなに詳しくは知らなかったけれど、
側にいた日橋さんというインディアンの縁の深い人が、「ありがたいことだよ!」
って教えてくれた。
そんな最初のはじまりからメルビンとは、その後も不思議な縁が続くのだが、この
3年後に彼に山の上に連れて行ってもらいビジョン・クエストをやってもらうことに
なるなんて、その時は夢にも思わなかった。
以来お互いをブラザーと呼び交す仲になった、そのメルビンに今回のウォークの話
をすると、即座におれも行く!と言う。
というわけでその夏も、不思議でちょっとおかしい旅がはじまった。
WALK FOR JUSTICEは、もうこの頃はゴールであるワシントンDCにかなり近づい
ているはずだ。
せめてゴールの前に追いついて、少しでも一緒に歩いてDCに着きたい。
そんな想いがぼくらを駆り立て、年代物のダッジVANは、老体にむち打って毎日故
障もなく走ってくれた。
でもメルビン兄貴と一緒の旅は、そんな日本人的な考えを基にした、スケジュール
通りの旅を許してくれない。
ぼくらはお金もなかったから、毎日モーテル泊なんて、そんなわけにはいかない。
時間が許せばキャンプエリアくらいは泊まれるけれど、今回は特に時間がタイトな
日々である。
本当は昼夜交代して運転したいところだったけれど、そんな無理な旅をメルビンは
あまり喜ばず、インディアンの人ならよくわかるところのスピリチュアル・ムーブ
という感覚で物事を運んでいく。
そうグレート・スピリットにすべてまかせて、その日、その時の感覚を優先しなが
ら旅を続けて行くってこと。
毎朝出かける前にセージを焚いて、一日の無事を祈り、途中なにか変な感じがした
らまたセージを焚いて祈り浄める。
そして知り合いのコネクションを極力頼るのである。今日はどこそこに知り合いが
いるからそこに行って泊まろう。明日はどこそこに友達がいる。そんな感じで旅は
続いていく。
なので遠回りにもなったけど、おかげで毎日ありえないような体験の連続でもあった。
メルビンの学生時代の恩師。同じサンダンサーの兄弟。そしてある時は、ぼくも本屋
で見たこともあるインディアンの本を書いた作家の家にも泊めてもらった。
WILLIAM S. LYONというアメリカ人作家で、かつてのラコタ・インディアンの聖者
として有名なブラック・エルクのその息子で、THE LONGEST WALKの時にも精神
的指導者として人々を導き、また日本にも来たこともあるウォレス・ブラック・エル
クのその伝記”Black Elk The Sacred Ways of a Lakota”を書いた人だった。
メルビンは以前ここでビートニクスの奇才ウィリアム・バロウズにスウェット・ロッ
ジをしたこともあるという。
ぼくらが初めてメルビンの家を訪ねた時、置いてあったスウェット・ロッジの時の
写真に見覚えのある人物が写っているのが目に留まった。「おお!バロウズじゃな
い?!」って聞くと、「知ってるのか?」って。「いや〜有名な作家だよ!」って
言うと、このWILLIAM S. LYONの家に行った時来ていたから一緒にスウェットを
やった、と。
「そんな有名なヤツだとは知らなかったけど、やつは孤独な男だったぜ」とも言っ
てたな。
さて、そんなパウワウ・ハイウェイみたいな旅が、目的地であるワシントンD.Cに
差しかかったころ、渋滞に巻き込まれた。
インディアンを支援するステッカーとかいっぱい貼ったワーゲンバスやヒッピーカ
ー・・、やけにそんな車がたくさん目につくものだから、みんなWALK FOR
JUSTICEのゴール目指して集まってきてるんだ!って思ってうれしくなった。
残念ながらウォークは少し前に到着していて、たとえ一日でも一緒に歩くことはで
きなかったけれど、それでもウォーカーたちがキャンプしているD.C郊外の場所を
探し、駆けつけた。
最初の一ヶ月の間歩いたみんなとの再会を楽しみにしていたが、その何人かは途中
いろいろトラブルもあってウォークを離れたと聞いた。ぼくもいくつかウォークを
経験したからわかるけど、長い道中いろいろなことがあったんだろうな。
まあ何人かは熱々のカップルにもなってたけどね!
それでもデニスや純さんをはじめ旧知のウォーカーたちは再会を喜んでくれた。
ここには数日間に渡るギャザリングやワシントンD.Cのホワイトハウス近くでのイ
ベントのため全米各地から多くのインディアンたちが集まっていた。ぼくらは間に
合わなかったけれどD.Cでのギャザリングには沖縄から喜納昌吉&チャンプルーズ
も来ていてコンサートもあった。
ぼくらはこのキャンプ地にしばらく滞在し、ここでも有名なデーブ・チーフのスウ
ェットに入ったりしながら、ウォーカーたちと祈りの時を共にした。
ところで、このキャンプ地ではたくさんのインディアンや、もちろんアメリカ人の
支援者、ウォーカーの姿は目にするが、来る時のハイウェイで見かけたような、た
くさんのヒッピーたちやそれらしき車がないな、と気になった。
すると、だれかが「今ワシントンD.Cのスタジアムでグレイトフル・デッドのショ
ウをやっている」と言った。
そうか!あの連中はデッド・ヘッズで、ショウに向けてやってきたのか! 道理で
ワーゲンバスやタイダイ連中が多かったわけだ!
そしてまた、「デッドは昔からインディアンを支援しているから今回のウォークへ
も支援してくれる。だからウォーカーをリスペクトしてショウに行けばフリーで入
れてくれる!」と言うではないか!
うそ!?
そしてまたまた、「ショウに来ているようなデッド・ヘッズたちはインディアンの
ことなどにも意識が高いから、誰か行って、このウォークで集めているペルティア
解放への署名をぜひ集めてきてほしい!」
まじっ!?
さあ!こうなったらもう、行かないわけにはいかんだろう〜(笑)。
(続く)

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