>■ ナナオサカキ

[2006/2/16]

1 月 31 日、神戸であったナナオのポエトリー・リーディングに行ってきた。
銀河系宇宙太陽系地球部族大長老詩人は、御年 83 才とは仮の姿。

ナナオ サカキ〜この大地 このいのち
海にすなどり
星たちと 砂漠に眠り
森あれば 仮小屋むすび
古く ゆかしい農法にたがやし
コヨーテと共に歌い
核戦争止めよと歌い
疲れを知らぬこの俺 ただ今17歳
なんと 頼もしい若もの〜

と、この日も高らかに歌いあげた。

ビート詩人、コミューン運動”部族”、ヒッピー界大長老・・

ナナオを語る言葉は数々あれど、いつかナナオはボクに言った、

「レッテルは ごめんだ。」

詩人ギンズバーグに「ナナオの両手は頼りになる 星のように
鋭いペンと斧」と讚えられたナナオ。詩は、世界17カ国で翻訳
され、朗読会では熱狂的に迎えられる。

   ********************

ビートニクスに憧れた20代の頃。当時は今ほどビートに関する本もなく、紀伊国屋なんかで必死で探し貪るようにその時代の空気を自分なりに感じようとしていた。そんな中、ケルアックの「オン・ザ・ロード」は文庫本で一般の本屋に並んでいた唯一の本だった。それを読んでニール・キャサディの存在を知り、そして友だちのナガイからもらった同じくケルアックの「ダルマ・バムズ」を読んでゲイリー・スナイダーのことを知った。

もちろん実話を基にしてるとはいえ、小説のなかの登場人物にされているキャサディにしてもゲイリーにしても、本当のところはどこまで実体か判らない。しかし当時’50年代ヒッピー前夜のNYやSFにおいて強烈に個性を表現していたビートたちのなかでも一際異才を放ち、女にも(男にも?)もて、インテリでありながら根っからのアウトサイダーなその風体は、当時デザイン関係の仕事とはいえサラリーマンをしていた自分からみれば、カウボーイ・ニールとダルマバム・ゲイリーのその”自由”さは、憧れ中の憧れ。遅れてきたビートかぶれのボク自身のスーパーヒーローと相成った。

そんな憧れのヒーロー、ゲイリー・スナイダーの日本滞在についても書かれた彼の本「地球の家を保つには」を読んで、そのなかに書いてあった’60年代日本のコミューン”部族”について知ることとなった。それは噴煙上げる活火山スワノセ島に築かれた理想郷。その火口の淵で美しくも原始的にケッコンシキを挙げる若き日のゲイリーと、それを祝福するポンやナーガら日本のフリークたち。そのなかでゲイリーや皆より年齢が10歳以上も年上の、兄のような、マスターのような存在として描かれているのがナナオだった。

“ナナオは、日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人の一人である。だが彼の思想とインスピレーションの源は、東洋や西洋よりも古い。そして新しい。”
(ゲイリー・スナイダー)

以降、自分のヒーローであるゲイリーに絶賛され、兄弟のようにつき合うナナオもボクにとってのスーパーヒーローとなったのは当然だ。

特にまだ一度も本物のナナオの存在に触れたことのない当時は、自分のなかで勝手な思い込みのイメージだけが膨らんでいった。

そうして’90年代の初め頃だったか、そんな憧れのアウトヒーロー!伝説のビート詩人!ゲイリーとナナオのポエトリー・リーディングが原発建ち並ぶ福井の小浜であると聞き、喜び勇んで出掛けていった。

その頃は、今と違って給料もらう身だったからそんなにお金に困っていたわけじゃなかったけれど、オン・ザ・ロードの巨匠2人会うにあたり、自分なりの敬意を払ったつもりでキセル乗車で向った(ことは今だから言えること)。

そんな週末ビートのボクの前に初めて現れた賢者のような風格のナナオは、開口一番こう言った。

「京都からゲイリーと二人で歩いてきた。夜通し山を越え、途中狸に会った。昔ゲイリーが京都にいたころはギンズバークなんかとも一緒に日本海まで歩いたもんだ。」

やっぱり本物は違う!ってつくづく思った記憶が残る。

それからだいぶたって次にナナオに会ったのは、長野の望月のゲンさんとこだったか。

望月にはニッパシさんという、これまた今や伝説的な人物が晩年住んでいたところでもある。ニッパシさんは、若いころヤクザもんで、それからフーテンになり、出家してお上人になり、その後サンダンサーになった人。

ボクが’90年初めてビッグマウンテンのサンダンスに行ったときに、彼の地で出会い強烈に影響され、そして以後たいへんお世話になった大恩人。

ナナオより10歳程若い人だったけれど、その人生の波乱万丈さはたぶんナナオと変わらない、とにかく強烈な個性溢れる人だった。

とにかく、そのニッパシさんが晩年住んでいた八ケ岳の北側辺りにもかつての縄文王国さながらに、その末裔とも思しきユニークな人たちがたくさん住んでいた。そこにナナオは時折訪れては、そんな人の家で詩の朗読会をやったりしながら数日滞在していた。

そんな時、最初に書いた「レッテルはゴメンだ」って言う言葉に至る、初めてナナオとプライベートに会話をする機会が訪れた。ボクの頭の中ではち切れんばかりになっていたナナオのイメージ、観念が本物のナナオを前にして、ここぞとばかり溢れ出たもんだから、たぶんナナオはそれを全部打ち消してくれたんだろうなって、今だからわかること。

そして再び同じ望月でナナオと会ったのが、’98年暮のニッパシさんのお葬式。木工してる友人が作った棺桶に、陶芸やってる人が野焼きで作った骨壷。そんな手作りだけれど心のこもった葬式に、かつての出家仲間だったお坊さんたちや、ビッグマウンテンの縁ある僕たちサンダンスの若い衆、フーテン時代のオールドヒッピーたちで溢れる、元は古い農家だったニッパシ邸の前庭にナナオも一人現れた。

そうして一通り葬式が終わる最後の頃にナナオは“ラブレター”
という詩を詠み上げた。

その日はよく晴れた冬空だったな・・・。

それから2年後、2000年。10月に東京は湯島聖堂で行なわれたゲイリー・スナイダー、ナナオ、山尾三省、長沢哲夫、内田ボブたちの四半世紀ぶりに行なわれたポエトリー・イベントで、その歴史的な瞬間に立ちあった直後、僕たちは東京からピースウォークをはじめた。トム・ドストウという旧知のアベナキ・インディアンが20世紀中に起きた核による悲惨な歴史を次の世紀には持ち越さないと誓願して、ヒロシマ原爆の残り火を掲げ歩いてヒロシマ、ナガサキを目指す祈りのウォーク。

そしてウォークがヒロシマに入る直前の12月10日頃、ナナオは僕たちがキャンプしているところにひょっこり現れた。ニッパシさんの3回忌に望月を訪ねた時、このウォークのことを知り駆けつけたんだと。そこで、まだ紅葉が残っていた山すその小さなキャンプ場で、そこにいたみんなを前に自ら詩の朗読会をやってくれた。

そこからナナオは九州に向かうと一人出ていき、次に現れたのは諌早だった。そして最後ウォークに合流しナガサキの爆心地までの28キロを一緒に歩いた。

ナナオは戦時中、故郷の鹿児島出水海軍飛行場でレーダー兵をしていたと言う。1945年8月、ヒロシマ原爆から3日後、見ていたレーダーに映るB29の影。その後、ナガサキの方向に見た閃光、きのこ雲。

「だからボクは今世紀中にナガサキには行かなきゃだめなんだよ。」って、歩きながらいまここにいる理由を話してくれた。

2000年12月31日深夜。ヒロシマ原爆残り火で、2001個のロウソクを同心円状に並べたナガサキ爆心地。ボブが歌い、ダダが歌い、皆で祈り、そして世紀が明けた。

2001年新世紀1月1日。

この日はなんと、ナナオの誕生日でもあった。

20世紀の4分の3以上の年月を世界中の大陸を歩いてきた我らがナナオの78回目のバースデイ!

この21世紀になった瞬間に、因縁のナガサキ爆心地で、この20世紀の歴史の生き証人でもある詩人ナナオは、ここでも高らかに一編の詩を歌いあげた。

   “ラブレター”

 
 半径 1mの円があれば
 人は 座り 祈り 歌うよ

 半径 10mの小屋があれば
 雨のどか 夢まどか

 半径 100mの平地があれば
 人は 稲を植え 山羊を飼うよ

 半径 1kmの谷があれば
 薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

 半径 10kmの森があれば
 狸 鷹 蝮 ルリタテハが来て遊ぶ

 半径 100km
 みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

 半径 1000km
 夏には歩く サンゴの海
 冬には 流氷のオホーツク

 半径 1万km
 地球のどこかを 歩いているよ

 半径 10万km
 流星の海を 泳いでいるよ

 半径 100万km
 菜の花や 月は東に 日は西に

 半径 100億km
 太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

 半径 1万光年
 銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

 半径 100万光年
 アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

 半径 100億光年
 時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ

      そこで また

      人は 座り 祈り 歌うよ

      人は 座り 祈り 歌うよ



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